2008年12月31日水曜日

「来年以降、退職した団塊の世代を低賃金でこき使えるので経営環境は企業に有利になる」(堺屋太一)

今日の日経「経済教室」に、堺屋太一御大が「2009年の日本経済」として寄稿されている。いろいろご託宣。備忘録としてメモ。

抜粋:
  1. 08年の金融危機とは、ひと言で言えば、1970年代からのペーパーマネー体制の崩壊。ペーパーマネー体制のもとに米国は工業社会から知価社会への転換をはじめた。ドルの垂れ流しに見合ったドルの需要(つまり借り手)があったのでドルの価値は保たれた。80年代にはジャンク債、90年代には、ロシアや中南米、東南アジア。それがダメになるとIT産業。それもダメになるとサブプライムローン。でも今後サブプライムに代わるほどの大型の借り手はもう現れないだろう。つまりペーパーマネー体制は崩壊したのである。
  2. 今の危機のパターンは10年前に日本が経験したもの。おいらが経企庁長官として対策の総指揮を執った。いま世界各国がそのやり方を真似している。
  3. 米国人の考え方(「先に費って、あとで返す」という思想)は逆戻りしない。今後自動車産業などの規格大量生産型の製造業は決定的に整理されて「全(まった)き知価社会」が出現する。三年はかかる。景気腰折れの二番底に陥る危険が大きい。
  4. 中国の不況は工業化の過程で起こる初期的調整。一年で急回復する。
  5. 日本。円高と高齢化は企業にとって有利。日本の市場はまだまだ閉鎖的で輸入品の値下がりが消費者価格になかなか反映されないので、相当の部分が企業の懐に残る。
  6. 高齢化だが、09年には団塊の世代の退職が完了する(年功序列賃金体系から卒業する)ことで、団塊世代の労働力が年功にとらわれない低賃金で大量に供給されることとなる。タクシー業界が良い例。退職した高齢者が低賃金でタクシー運転手として働いている。多くの分野で同様のことが生じる。企業には利益、消費者には物価安とサービスが提供される。

いつまでも可哀想なのは団塊の世代だ。その「名付け親」からもこういった冷たい目で見られている。まあ、最初から最後まで「働き蜂」を続けるしかないか。ニッポンには扶養家族が多いもんね。

12/31 Today 大晦日……「去年今年貫く棒の如きもの」(高浜虚子)

高浜虚子 - Wikipedia: "高浜 虚子(たかはま きょし、明治7年(1874年)2月22日 - 昭和34年(1959年)4月8日)は明治~昭和期の俳人、小説家。本名・高濱 清(たかはま きよし)。
ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。

代表作

春風や 闘志抱きて 丘に立つ
遠山に 日の当たりたる 枯野かな
去年今年 貫く棒の 如きもの"
大晦日にはやっぱりこの句。「去年今年」は「こぞことし」と読む。

大岡信の解説:
『六百五十句』(昭30)所収。昭和25年12月20日、新春放送用に作った句という。当時76歳。「去年今年」は、昨日が去年で今日は今年という一年の変わり目をとらえ、ぐんと大きく表現した新春の季語。虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春に限らず、去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう。「貫く棒の如きもの」の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

虚子はエライ。70歳を過ぎてもこれだけの力が出せる。

2008年12月30日火曜日

「途上国では、お金を配った人が選挙で当選する」(元駐日中国大使、陳健氏)

今朝の日経一面の「次の世界」インタビューで元駐日中国大使の陳健氏が言っている。内容は常識的でまとも。一読おすすめ。

抜粋:
  1. 今回の金融危機は国際秩序に変化をもたらすが、現時点で米国が衰退したとはいえない。近い将来米国にとって代われる国はない。
  2. 米国は、科学技術や人の創造性に優れているだけでなく、世界の知力を吸収するのに長けている。ここは中国と日本とは違う。
  3. 中国の外貨準備の大部分はドル資産。米国が強大な存在であり続けるのは中国にも有利。
  4. 多党制や民主選挙などの大原則は先進国に適しているが途上国では誤りになる。きちんとした教育がなくお腹いっぱい食べられない国ではお金を配った人が選挙で当選する。西側の誤りは西側で成功したことが他国でもかならず成功すると思ったことだ。
  5. 中国は一人あたりGDPで途上国。少なくとも20−50年間、あるいは更に50年間かかって先進国になるというのが自然なプロセスだ。その前に先進国の役割を担うというのは理屈に合わない。
  6. 中国人と日本人は競争意識という心理状態から抜け出すべきだ。欧州は協調して歩んでいるように、日中も共同して東アジアの発展を主導しなければならない。

「自分に都合のいいことばっかり言って」と立腹する人はまだまだ修行が足らない。自分に都合のいいことを、如何に論理的で説得力にある形で提示できるかが、外交勝負の分かれ目。おまけにこの見方は、一見身も蓋もないみたいだけれど、正確で正しい。ご立派という他はない。

それにしても「お金で票を買う」というのは、どっかの「先進国」でもそうだな。与野党ともに「イナカ票大買収作戦」で選挙に挑もうとしている。原資は株価大暴落で困窮している都市住民が払う税金だ。あの国は途上国なのかな。

12/30 Today 決闘がご法度となりました(1889)

中野文庫 - 決闘罪ニ関スル件"
決闘罪ニ関スル件(明治22年法律第34号)

第一条 決闘ヲ挑ミタル者又ハ其挑ニ応シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮ニ処シ十円以上百円以下ノ罰金ヲ附加ス

第二条 決闘ヲ行ヒタル者ハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス

第三条 決闘ニ依テ人ヲ殺傷シタル者ハ刑法ノ各本条ニ照シテ処断ス

第四条 決闘ノ立会ヲ為シ又ハ立会ヲ為スコトヲ約シタル者ハ証人介添人等何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ラス一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス
2 情ヲ知テ決闘ノ場所ヲ貸与シ又ハ供用セシメタル者ハ罰前項ニ同シ

第五条 決闘ノ挑ニ応セサルノ故ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ刑法ニ照シ誹毀ノ罪ヲ以テ論ス

第六条 前数条ニ記載シタル犯罪刑法ニ照シ其重キモノハ重キニ従ヒテ処断ス



制作者註

この法律は、明治22年12月30日に公布された。"
いかにも古くさい法律だが、どっこいこれがいまだに有効なのである。

最近の適用例:
ブログで挑戦状書き込み決闘 少年グループを逮捕 - MSN産経ニュース: "対立する少年グループから決闘を申し込まれ、応戦してけがを負わせたとして宮城県警少年課などは16日、決闘や傷害の疑いで、多賀城市の解体工(17)ら少年15人を逮捕したと発表した。宮城県で決闘罪が適応された事件は、少なくとも20年ぶりという。"

うっかり「表に出ろ」なんか言ったり「おめ〜らで決着を付けろ」など教育的?指導をすると官憲により逮捕されかねない。

これに限らずニッポンには古めかしい法律がゴマンと残っているので、お役人が民をいじめようと思えばいつでも引き出しから古色蒼然とした法律を持ち出すことが出来る。法律は原則として時限立法(サンセットクローズ付き)にするべきだと思う。

2008年12月29日月曜日

「高速道路の事故渋滞は事故車両が撤去されれば解消する」(住友商事、加藤進社長)

今朝の日経「人こと」コラムで、住商の加藤社長が世界経済を語って掲題の言葉。これは名言である。

必要以上に「空元気」を出すことはない。同時に必要以上に悲観的になるべきでもない。資本主義は、バブルと恐慌の繰り返しである。これは心臓の鼓動みたいなもんだ。人類の文明はそれで死に絶えたりなんかしなかったことは歴史を読めばわかる。各国ベースで見ても恐慌で滅んだ国はない。むしろ元気で伸び盛りの国である証拠。回復にどの程度時間がかかるかはいまだ不透明ではあるものの、必要なことをひとつずつやっていけば、高速道路の渋滞と同じで、かならず正常化する。

世界を見回してみても、必要とされる投資はほとんど無限にある。最貧国の貧困問題は言うに及ばず、「先進国」日本でも都市部の生活環境の整備が(都市景観も含め)大幅に立ち後れている。あんな国際空港や国際貿易港は先進国として恥ずかしいし、都市の道路は劣悪で電線と電柱が立ち並んでいるし、住環境は最悪。やることはほとんど無限にある。それをファイナンスするお金は日本に存在するにかかわらず、遣われずに眠ったまま。不況が続くことは「合理的」ではないのである。

どの程度回復に時間がかかるかは予測屋の仕事であるが、とにかくそれまでに死んでしまっては意味がない。いい日を再び見るためにも各自の「長期間生存能力」が問われている。利権集団を儲けさせるだけのキリギリス的ライフスタイルを続けておれば確実に春まで生き残れないだろう。現下の不況は生き残り能力を養ういい機会でもある(若い人なら生きているうちに新たな大不況にかならず出会うことになるから、ここで訓練しておいたほうがいいのである)。

ガマガエルみたいにしばらく冬眠するか。

12/29 Today 日経平均、史上最高値を付ける(1989)

「ワッハッハッ、まだまだ行くぞ」とみんなが踊り狂いました:
日経平均プロフィール: "昭和最後の年の64年(1989年)、昭和天皇ご逝去による自粛ムードもあってか、年初の株式相場は比較的穏やかなスタートでした。1―3月の日経平均は3万―3万1000円台で推移。それが4月の新年度入り前後から勢いを付け、毎月1000円大台を改める有り様。秋口からはさらに勢いを増し、年末の大納会には歴史的高値の3万8915円まで駆け上がりました。1年前の88年12月にはじめて3万円に乗せたばかり。1年で8800円近い急騰でした。翌年の株価を予想し、「日経平均5万円も夢ではない」などと威勢のいい声があちこちで聞かれました。"
でも、それを境として、日本の株価は趨勢的な低下局面に入る。上のチャートがそれ。

2008年初めにこんなことを書いたな:
論よりチャート……日本株は奈落に向けてまっしぐら!: "政治家やマスコミは株が下がったのはサブプライムのせいだ(アメリカのせいだ)と言い続けるけれど見当違いだ。やはり原因は「純国産」で構造的。このことを如実に物語る実に嫌なチャートを見てしまった。"

概ねそういうことだろうといまでも考えている。

日本の個人消費の回復は今や「アラフォー」頼みとのこと(期待されていた団塊退職世代は消費に全く元気がないよし)。「アラフォー」とは40歳前後の女性のことを指すらしいが、彼女たちは日経平均が史上最高値を付けた89年頃に青春時代を送った世代で「財布の紐が緩い」のが特徴とのこと。

アラフォーよ、頑張って無駄遣いをしてくれ〜。

2008年12月28日日曜日

12/28 Today 天和の大火「お七火事」(1683)

天和の大火 - Wikipedia: "天和の大火(てんなのたいか)とは天和2年12月28日(1683年1月25日)に発生した江戸の大火である。お七火事とも称される。

この大火により焼き出された江戸本郷(現在の東京都文京区)に住む八百屋の娘・お七は檀那寺であった吉祥寺(本郷の円乗寺ともいう)に避難し、そこの寺小姓を慕うようになった。その後、この寺小姓に会いたい一心であちこちに放火事件をおこし(大きな火事にはならなかった)、捕縛されて鈴ヶ森刑場で火炙りの刑(火刑)に処せられた。このことから、天和の火災はお七火事とも称されるようになった。"
火の用心。

八百屋お七 - Wikipedia: "生年は1666年で生まれとする説があり、それが丙午の迷信を広げる事となった。"
迷信に用心。

2008年12月27日土曜日

12/27 Today ジョージ・ロイ・ヒルが死ぬ(2002)

ジョージ・ロイ・ヒル - Wikipedia: "ジョージ・ロイ・ヒル(George Roy Hill、1922年12月20日 - 2002年12月27日)は、アメリカ合衆国の映画監督。ミネソタ州ミネアポリス出身。

イェール大学で音楽を学び、第二次世界大戦中はアメリカ海兵隊においてパイロットとして従軍した。俳優や舞台監督、またテレビ監督として活動し、1964年に映画監督としてデビューした。1969年の『明日に向って撃て!』ではアカデミー監督賞にノミネート、1974年の『スティング』では同賞を受賞した。また1972年の「スローターハウス5」ではカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している。

時代から過ぎ去ったものや取り残されたもの、滅び去ったものの哀愁を優しい視線で描くのが特徴。

1990年頃から、パーキンソン病を発病し、映画の製作の場から離れた。"


「明日に向かって撃て」は、よかったな〜。

明日に向って撃て! - Wikipedia: "『明日に向って撃て!』(あすにむかってうて!、原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)は、1969年のアメリカ映画。アメリカン・ニューシネマの傑作の一つ。
実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの物語。ラストシーンのストップモーションは映画史に残る屈指の名シーンとして有名である。 日本での公開は1970年2月。
2003年、この映画はアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

ストーリー:

西部で名を馳せた荒くれ者ブッチとサンダンスは列車強盗を繰り返し、ついに最強の刺客を鉄道会社から派遣されてしまう。はじめはなんとか逃げ切ることに成功する二人だったが、刺客たちは追撃をやめることはなく、ひたすら彼らへと猛追してくる。

命からがら逃げのびた二人は、サンダンスの恋人エッタとともに南米ボリビアへと逃亡するが・・・"




2008年12月26日金曜日

「正しい味、伝統の味と言われても……」(佐光紀子)

今日の日経夕刊「温故知新のエコライフ」で思わず笑ってしまった。ナチュラルライフ研究家の佐光紀子氏は、おいらと同様、昨今の「正しい、伝統の味」とやらをみんなに強要する風潮に辟易されているらしい。

抜粋(意訳):
  1. 料理教室では「みなさんに正しい味を教える」と言っているらしい。「おいしい」とか「好み」ではなく、「正しい味」というものがあるらしい。
  2. でもこの時期になると、よくわかります。そう、おせちです。
  3. よく「わが家伝統の味」など言いますが、大学入学と同時に家を出てしまったので、そんなの知らない。後悔しきり。そこを「敵」は突いてくる。
  4. アホらしい。
いやはや、全く同感です。

おいらはもとよりおせちなどは作れないので、おせち料理はセットになった重箱を毎年外部から仕入れてきた。なんか仰々しいもので三段になっている。例年元旦の朝には、決まりだから箸を付けるが、二日目(いや2回目)にはもう結構となる。でも捨てるのはモッタイナイので無理やり食うのだが、正直しんどかった。「正しいニッポン人は正しいおせちを食わねばいけない」という義務感から毎年これを繰り返してきたがもう止める。新年からはごまめと数の子ぐらいを単品でごく少量だけ買うだけとする。

それと鶏の唐揚げ。おいらにとってはこれこそが正月のお袋の味。小さいとき「暮らしの手帖」の花森安治が、正月ぐらいまずい「日本伝統のおせち料理」ではなく旨くて栄養のあるものを食べましょうとする「暮らしの手帖」特集を組んで以来、わが家ではこれが正月の「おせち料理」となっていたのだ。正月にお客が多かった家だったが、お客にも「鶏の唐揚げ」が一番人気であった。これぞおいらの「正しい伝統のお袋の味」なのだ。コンビニでいくらでも買える。

農水省は、彼らが食わせている利権集団の利益を守るがために、国民の巨額の税金を使って「伝統食を食べましょう」とFOOD ACTION NIPPON(フードアクションニッポン)なる国民愚民化洗脳運動を展開中だが、あんなものに洗脳されるのは、まっぴらごめんだ。

12/26 Today トロイを発掘したシュリーマンが死ぬ(1890)

ハインリッヒ・シュリーマン - Wikipedia: "ハインリッヒ・シュリーマン(Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann, 1822年1月6日 - 1890年12月26日)は、ドイツの考古学者、実業家。ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明した。

クリミア戦争に際してロシアに武器を販売して巨万の富を得た。

幼少のころにホメロスの『イーリアス』に感動したのが、トロイア発掘を志したきっかけであるとされている。自身の著作にそのような記述あることから、長年、信じられてきたが、近年の研究では功名心の高かったシュリーマン自身の創作にすぎないことが判明している。

発掘調査に必要な費用が用意できて、事業をたたんだのではなく、事業をたたんでから、遺跡発掘を思いついたのである。世界旅行に出て中国や日本を訪問した(後述)。ソルボンヌ大学やロストック大学に学んだのち、ギリシアに移住して17歳のギリシア人女性ソフィアと再婚し、トルコに発掘調査の旅にでたというのは事実だが、最初の結婚の失敗、30才も年下の女性と結婚したことによるアイデンティティ・クライシス、戦争終結による事業の見通しの暗さがトロイア遺跡発掘へのきっかけと言われる。"
Wikipedia の記述は嫌らしいな。いいじゃないかと思う。これこそ男のロマン。

定年退職してから「自分探し」をはじめるニッポンの団塊諸君みたいでほほえましい。同じくクリミヤ戦争で巨万の富を得たノーベルもノーベル財団を創設した。でも、ノーベルは生涯独身だったから、シュリーマンの方が幸せ。

2008年12月25日木曜日

グールド:ゴールドベルグ変奏曲(55年モノラル盤)

息子に貰った。ゴールドベルグなら持っているというに55年盤を聴くと全然違うという。確かに全然違った。
Amazon.co.jp: バッハ:ゴールドベルク変奏曲 (55年モノラル盤): グールド(グレン), バッハ: 音楽: "バッハ:ゴールドベルク変奏曲 (55年モノラル盤)
~ グールド(グレン) (アーティスト), バッハ (アーティスト)  1955年、生意気でエキセントリックだが、恐ろしく才能に恵まれた22歳のピアニストが、この記念碑的名作にかかっていたクモの巣を払い落とし、一躍スタ-になった。フィッシャ-、カザルス、ランドフスカのロマンチックなバッハを聴いて育った人は、冷水を浴びる思いがするだろう。グレン・グ-ルドの軽快で自在な指と緊迫のリズムが、歯切れいい音、闊達なリズム、そして驚愕のテンポで対位旋律をきれいに洗いだし、洞察力と放胆な解釈でバッハの名作に火を点けた。このデビュ-録音はグ-ルドの市販ディスクの中でも、最も有名ですばらしい。とにかく買って聞いてみることだ。(Jed Distler, Amazon.com)
"

若いときのグールドは例の「うなり声」を上げていないのね。マイクの性能が悪くうなり声が拾えなかったのかも知れない。

ともあれ81年盤とはすごく違う。おいらみたいに81年盤でグールドに「開眼」した人間にとっては、55年盤はまるでMJQを聴いているようで(MJQがこのグールドを真似したのだと思う)、いささか違和感すらあるが、エライ人ほど変化すると言うことであろう。「変わらずいるためには自分が変わらなければならない」とは「山猫」の老貴族の言。

55年盤:


81年盤:


12/25 Today 昭和の始まり(1926.12.25)

昭和 - Wikipedia: "昭和(しょうわ)は、20世紀の日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間であった1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日までの期間を指す。昭和64年まで続き、これは日本の元号のなかでは、最も長い。

1926年(大正15年)12月25日、大正天皇崩御。皇太子裕仁親王(昭和天皇)践祚のため改元。1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御。皇太子明仁親王(今上天皇)即位のため、元号法の規定に基き元号を改める政令(昭和64年1月7日政令第1号)が公布、翌1月8日施行され、平成に改元された。

「昭和」の由来は、四書五経のひとつ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」による。漢学者吉田増蔵の考案。

国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。"

元号に名前負けした時代だったな。

散人謹製のパロディーをひとつ:
今の世のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは昭和の児ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり。
遠藤周作はしをれて中島らもは散りにき。
大薮春彦は落ちて松田優作は枯れ
植木等の声も亦絶えたりき。
父も去れり母も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは昭和の児なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
杉山和彦既になく
田端強も亦姿をかくしぬ。
大正文化の名残煙となりぬ。
昭和の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは昭和の児ならずや。
去りし昭和の世の児ならずや。

2008年12月24日水曜日

12/24 Today ディケンズ『クリスマス・キャロル』の日

クリスマス・キャロル (小説) - Wikipedia: "『クリスマス・キャロル』 (原題:A Christmas Carol) は、英国の文豪ディケンズの中編小説。1843年12月17日(12月19日ともされる。参照)に出版。「クリスマス・ブックス」の第1作。吝嗇家のスクルージがクリスマス・イヴに超自然的な体験をし、それがもとで改悛する。クリスマス・ストーリーのなかでは、もっとも有名なもので、広範囲な読者を獲得し、自身を世界的に有名な作家としたことでも記念碑的な中編である。原作は英国で出版され、原文は英語である。出版社はロンドンの「チャップマン・アンド・ホール(en:Chapman and Hall)」で、ハードカバーとペーパーバックの二つの形態で出版され、挿絵画家ジョン・リーチ(John Leech)による彩色挿絵入りである。"
以来毎年この時期になると読まれる本。とてもいいお話である。

ストーリーは:
作品の主人公は、エベネーザ・スクルージという初老の商人で、冷酷無慈悲、エゴイスト、守銭奴で、人間の心の暖かみや愛情などとは、まったく無縁の日々を送っている人物である。ロンドンの下町近くに事務所を構え、薄給で書記のボブ・クラチットを雇用し、血も涙もない、強欲で、金儲け一筋の商売を続け、隣人からも、取引相手の商人たちからも蛇蝎のごとく嫌われている。
明日はクリスマスという夜、事務所を閉めたあと自宅に戻ったスクルージは、かつての共同経営者で、十年前に亡くなったマーレイ老人の亡霊の訪問を受ける。マーレイの亡霊は、金銭欲や物欲に取り付かれた人間がいかに悲惨な運命となるか、自分自身を例としてスクルージにさとし、スクルージが悲惨な結末を回避し、新しい人生へと生き方を変えるため、三人の精霊がこれから彼の前に出現すると伝える。

スクルージを訪ねる三人の精霊は、「過去のクリスマスの霊」、「現在のクリスマスの霊」、そして「未来のクリスマスの霊」である。

過去の精霊は、スクルージが忘れきっていた少年時代に彼を引き戻し、孤独のなかで、しかし夢を持っていた時代を目の当たりに見せる、また青年時代のスクルージの姿も見せ、金銭欲と物欲の塊となる以前のまだ素朴な心を持っていた、過去の姿を示す。

次に出現するのは現在のクリスマスの精霊である。現在の精霊は、スクルージをロンドンの様々な場所に導き、貧しいなか、しかし明るい家庭を築いて、ささやかな愛で結ばれたクラチットの家族の情景を示す。クラチットの末子ティムが、脚が悪く病がちで、長くは生きられないことを示す。

現在の精霊と共に世界中を飛び回って見聞を広めたスクルージは、疲れ切って眠る。そして再度目覚めると、そこには真っ黒な布に身を包み、一本の手だけを前に差し出した、不気味な第三の精霊・未来のクリスマスの精霊がスクルージを待っている。

スクルージは、評判の非常に悪い男が死んだという話を聞くが、未来のクリスマスには自分の姿がない。評判の悪い男のシーツに包まれた無惨な死体や、その男の衣服まではぎとる日雇い女。また、盗品専門に買い取りを行う古物商の老人や、その家で、盗んできた品物を売りに老人と交渉する三人の男女の浅ましい様などを見る。ここでスクルージは、その死んだ男が誰なのかを確認することはできなかった。
また、クラチットの末子ティム少年が、両親の希望も空しく世を去ったことを知る。そして草むし荒れ果てた墓場で、見捨てられた墓石の表に記されていたみずからの名をスクルージは読む。

スクルージは激しい衝撃に襲われる。しかし、夜明けと共に、彼が経験した悪夢のような未来が、まだ変えることができる可能性があることを知る。

世界にはヴィクトリア時代のロンドン貧民以上に悲惨な生活をしている人たちが大勢いる。そんな人たちを助けてあげるために一番いいことはその人たちの作る商品を買ってあげることなのである。以前にも書いたが今でもそう信じている;

12/24 Today クリスマス・イブ……優しい気持ちで本当の善行を考えよう(再掲)



2008年12月23日火曜日

主婦の物価高対策、節約しているのは「食費」 クラレ調べ-ニュース:日経WOMAN

主婦の物価高対策、節約しているのは「食費」 クラレ調べ-ニュース:日経WOMAN: "クラレが主婦を対象に実施した物価高への対策についての調査によると、家計支出のなかで「食費」を最も節約していることが明らかになった。物価高への対応として節約しているものを複数回答で聞いたところ、「食費」が74.8%でトップ。「水道・光熱費」が57.8%、「レジャー・娯楽費」が47.6%で続いた。"
日本の主婦は賢い。

一個十万円のメロンとか、一個500円のイチゴとか、一本数万円の焼酎とか、どう考えてもバブルだ。国産牛肉や国産有機野菜の異常な値段も、同じくバブル以外の何ものでもない。主婦たちもそれにようやく気がついたようだ。

「高くても手間暇掛けた"安全"なのがいい」というマスコミ宣伝に騙されて、それを食うのがカッコイイと思っていた消費者も、この記事にあるように、変わってきている。世の中は少しずつ健全な方向に向かって変化してきているのだ。ニッポンも捨てたものではない。

食費は、都市生活者が日頃めちゃくちゃボラれているアイテムだから、節約する余地は、ほとんど無限にある。それに気がつきさえすれば、世界恐慌なんかは屁でもないのである。

曙橋のパン屋ポムルージュの奥さまは赤ちゃんオンブでご出勤

曙橋のパン屋さん「「パンアトリエ・ポム・ルージュ」」は以前にも紹介したがなかなかいいです。お腹の大きい感じのよい女性がレジをやっていたが、このたび無事にご出産。なんと赤ちゃん連れでご出勤です。これにはいろいろ「事情」があるらしい。

カミさんがあけぼのばし通りのペルシャ絨毯屋のアフガニスタン女性から聞いたところに因ると、こういうこと:
  1. アトリエ・ポム・ルージュのレジをやってる女性は中国人。旦那さんは店主で日本人。二人で切り回しているので、出産直前まで奥さまも働いていた。
  2. 出産後、赤ちゃんの世話に中国から奥さまのお母さんを呼ぼうとしたら、ニッポン政府からビザを拒絶された。で、お母さんは来れなくなった。
  3. やむなく赤ちゃんを店に連れてきて赤ちゃんの世話をしながら店の仕事をしている。
  4. 体が持たないので週に一日だった休店日を二〜三日に増やした。

おかげでおいらはパンが買えないときがしょっちゅう。あそこのバゲットはとても品質が良く代替品がないので困る(六丁目の峰屋のバゲットもいいのだがレストラン優先で一般客には普通残らない)。

ニッポン政府が勝手に外人締め出し政策をとるので、普通の日本人が迷惑をこうむっているという例である。

『シンス・イエスタデイ』(アレン)……今なおとても示唆的

アメリカの大恐慌の社会学的な分析についてはアレンの『オンリー・イエスタデイ』が古典とされているが、主にバブルがいかに膨らんで破裂したか1920年代を分析したものであり、バブルが破裂してから社会がどう変わったかについては描いていない。それについてはアレンが続編を書いていたはずだが、書名を失念してしまった。ところが年末で書庫を整理していたら偶然見つかった。『シンス・イエスタデイ』という書名だった。大恐慌下のアメリカ1930年代の社会分析。以前買っていたものだが読んでなかったので読んでみた。結論的に言ってこれ抜群にいい本。超おすすめである。

シンス・イエスタデイ―1930年代・アメリカ (ちくま文庫)


すでに絶版になっているのかアマゾンで5000円もする(文庫なのに)。でも値打ちはある:

感想:
  1. バブルの形成もバブルの破裂も、いずれも社会的(心理的)現象。経済学的な分析ではわからない。アレンのような優れた社会学者(ジャーナリスト)の本を読む方がよほどよくわかる。
  2. ローズベルトのニューディールは各国政府が今やっていることとほとんど同じだが、効果はほとんどなかった。政府が仕事をつくり出すにも民間と競合しない仕事となると戦争でもやらないとなかなかなかった(売れない芸術家が市役所の壁画を描く仕事が貰えたぐらい)。結局バラマキばかりとなり社会の生産性が上がらなかった。株価と鉱工業生産は長年にわたり停滞したまま。失業者数も減らなかった。でも国民は何かをやってくれるだろうと指導者に期待するしかなかった。そのうち大不況が当たり前となって国民はその中に小さな幸せを見つけていく。みんなが貧乏になると社会にある種の安心感が出てくるのだ。
  3. 投資家はローズベルトを社会主義者として蛇蝎のごとくに嫌った。こんな状況では投資するより現時点で刹那的にお金を費消したほうがマシと言うこととなり、設備投資と技術革新が停滞する。
  4. でもローズベルトのバラマキがなかったら大規模な暴動が起こっていただろうから、彼ら(資産家)は救われたのである。
  5. 景気はよくなりかけたりまたもとの不況に戻ったりの繰り返し。結局そうこうして第二次世界大戦に突入していく。
  6. 景気回復のためにローズベルトはどうすればよかったのか、今度のオバマは何をするべきなのか、答はないみたいなのである。


『オンリー・イエスタデイ』も合わせて読むとなお面白い:



世界大不況からの脱出は、長期戦を覚悟するべき。

12/23 Today マルサスが死ぬ(1834)

トマス・ロバート・マルサス - Wikipedia: "トマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus、1766年2月13日 - 1834年12月23日)はイギリス経済学における〈古典派〉の代表的経済学者、人口学者。リカードの親友で、かつ最大の論敵として知られる。

『人口論』は1798年にゴドウィンやコンドルセなどの社会改良・改革の思想に対する反論として書かれたが、この初版は匿名で出版された。
人口は、制限されなければ幾何級数的に増加する。生活資料は算術級数にしか増加しない。多少なりとも数学を知っていれば前者の力が後者のそれに比してどれほど大きいものか、直ぐにも理解できるであろう。

言い換えるなら、物資の増大が人口の増大に追いつかない以上、過剰人口による貧困の増大は避けられないというのが彼の"人口法則"の論旨である。これに対する方策として、初版では、疫病・戦争・飢饉などを過剰人口への自然による救済であると示唆し、これらの苦難こそが人間の精神をより高くするものと説いたため、社会から広く反発されたが、マルサスとしては、論理のおもむくところをそのままに表現したにすぎなかったであろう。この学説は、人間の不幸を宿命論的な自然法則の結果であるとし、これにより資本主義社会の矛盾を合理化して社会改革思想に反撃を加えたものである。著者名をつけて出版された、同書第二版(1803年)において過剰人口に対する方策として、禁欲を伴う結婚年齢の延期、即ち〈道徳的抑制〉が加えられる。"
まあ、中国の一人っ子政策。

恐慌についてもマルサスは正しく認識していた:
反動的な経済学説とも言えるが、一方、20世紀になって恐慌の原因として注目されるようになった〈過剰貯蓄〉の説がすでにマルサスによって考えられている。つまり、「利潤の中に消費されない貯蓄が生まれ、すべての所得が消費に回るとは限らない」という知見である。これが過剰生産と過少消費、恐慌の原因であるとマルサスは考えた。しかし、マルサスとの往復書簡の中でリカードは、過剰生産は一時的な現象であり、貯蓄や遊休資本は適切な産業へ速やかに移動することで解消されうる、と反論する。そのリカードの恐慌論(というより、恐慌は自由放任経済のもとでは長続きできないという見解)が主流となったため、ホブソンとケインズが採りあげるまでは、〈過剰貯蓄〉の含意は古典派経済学では葬り去られた。

マルサスは「ポリティカリー・コレクト」ではない。世の文科系学者は自分の「学説」を売らないことには飯を食えないし影響力も発揮できないので、たいていは「ポリティカリー・コレクト」。マルサスみたいに「身も蓋もないこと」を言うと社会的に葬り去られることとなるのである。マルサスはむしろダーウィンみたいな自然科学者に影響を与えた。

2008年12月22日月曜日

12/22 Today 持統天皇崩御(703)

持統天皇 - Wikipedia: "持統天皇(じとうてんのう・大化元年(645年) - 大宝2年12月22日(703年1月13日))は、日本の第41代天皇。女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日) - 持統天皇11年8月1日(697年8月22日))。名は鸕野讚良(うののさらら、またはうののささら)。

天智天皇の娘で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智娘(おちのいらつめ)。同母姉の大田皇女とともに、父の同母弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の妃となった。その正妃となり、草壁皇子をもうけた。 天智天皇の晩年には、皇位継承をめぐって夫・大海人皇子と父・天智天皇の仲が悪化。大海人皇子は東宮(皇太子)を辞し、天智の死後は大和国吉野に逃れた。持統はともに吉野へ落ち、壬申の乱まで吉野で過ごした。持統は、のち天皇に即位してからもたびたび吉野に遊んだ。"
持統天皇は吉野に生涯31回も行幸している。尋常ではない。吉野は彼女の原風景だったのか。

万葉集には香具山の歌を残している:
持統天皇 - Wikipedia: "万葉歌人としても万葉集巻1雑歌28に藤原宮御宇天皇代(高天原廣野姫天皇 元年丁亥11年譲位軽太子尊号曰太上天皇)天皇御製歌として名を留めている。

「春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山」
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山(定訓)
春過ぎて夏ぞ來ぬらし白妙の衣かはかすあまのかぐ山(古来風躰抄)

この歌は小倉百人一首にも選ばれている。

「春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」小倉百人一首"

2008年12月21日日曜日

菓子パンから縫い針……目的はなんなんだろう?

またしても嫌なニュース:
asahi.com(朝日新聞社):菓子パンから針、女児2人軽傷 札幌のスーパー - 社会: "札幌市内のスーパーやコンビニエンスストアでは7月以降、食品に縫い針が入れられる事件が相次いでいる。"
農薬や縫い針が食品に混入される事件が今や日常的に発生している。たいていは小麦粉商品。スーパーなんかではおにぎりなんかのコメ食品も多く陳列されているのだが、おにぎりに縫い針が入っていたなんかは聞いたことがない。不思議である。

やはり政治的意図があるのだろう。学者の研究によれば、「ウヨ」と「エコ」と「ヒャクショウ」と「ナチ」は、大元ではすべて同じらしい。例えばこれ:

大不況のもとではナチズムなどの農本主義的環境原理主義者が大衆の支持を得て社会を支配することは歴史が教えるところ。昨今の日本の食品異物混入事件も、気持ちが悪い現象である。

12/21 Today サンタ・マリア・デ・イキケの大虐殺(チリ、1907)

Matanza de la Escuela Santa María de Iquique: "La Matanza de la Escuela Santa María de Iquique fue una masacre cometida en Chile el 21 de diciembre de 1907. En estos eventos fueron asesinados un número indeterminado de trabajadores del salitre que se encontraban en huelga general, mientras alojaban en la escuela Santa María del puerto de Iquique. Los eventos que configuran los hechos, suceden durante el auge de la producción salitrera en el Norte Grande chileno, bajo los gobiernos parlamentarios. La huelga, provocada por las míseras condiciones de trabajo y explotación de los trabajadores, fue reprimida por medio del indiscriminado uso de la fuerza armada por parte del gobierno del presidente Pedro Montt. "
チリの鉱山労働者が待遇改善を訴えてストライキを起こすが、小学校に隔離され軍の機関銃掃射により多数の死者を出した事件(1907)。この事件を唱ったアジェンデ時代の「人民合唱団」のレコードは素晴らしく、歴史的な名盤となっているが、ピノシェのクーデター後、長らく入手がむつかしかった。

ところが買えるのです。オリジナルレコード(LP)は1970年だが、2004年に米国で復刻版(CD)が発売されている。

Amazon.com: Chile: The Seige of Santa Maria de Iquique - A People's Cantata: MP3 Downloads: Quilapayún And Hector Duvachelle

iTunes Store でも買える。ちょっと原盤がすり減っている感じだが、ケーニャのメロディーとスペイン語の格調高いナレーションがとてもいい。

この事件について、You Tube に解説ビデオがある(音楽とナレーションは人民合唱団のものを使っている):


NHKBS「影武者」

NHKで「影武者」をやっていた。もちろん見ました。なんで黒澤がこんなにエライのか、考えてみた。
NHK 番組表: "没後10年 黒澤明特集「影武者」 <レターボックスサイズ>【監督】黒澤明 【出演】仲代達矢 山崎努 萩原健一 根津甚八 大滝秀治 ほか ~1980年 黒澤プロ/東宝制作~        "


それは黒澤の「普遍性」にあると思う。彼の映画は世界中の誰が観ても感動できるのだ。これは時代を超えてもいる。現代人も感動できる。

さるニッポンの有名アニメ監督は「僕のアニメはニッポン人がわかってくれればそれでいい、十分なマーケットがあるから」と言い放った。ニッポン人の感性に訴えるのだとかいう最近の小説家もそう。マンガは言うに及ばず。所詮ローカル。

「影武者」で「形と本質」の関係を改めて考えさせられた。キチガイの振りをすれば即ちキチガイ、善人の振りをすれば即ちいい人なのである。どっちが先かは関係ないのだ。少なくともおいらはそう解釈した。

それにしてもあの断末魔の馬は、どうやって撮影したんだろうね。気になる。



2008年12月20日土曜日

12/20 Today 伊丹十三が死ぬ(1997)

伊丹十三 - Wikipedia: "伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本名は池内 岳彦(いけうち たけひこ)。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。俳優の池内万作は息子。作家の大江健三郎は義弟。また料理通としても知られる。身長183cm。"
合掌。

公家顔。京都にはこういう顔つきをした人が時々いる。外国映画「ロード・ジム」などの脇役としてデビュー。ある種の貴族性があり、当時から若者のヒーローだった。

2008年12月19日金曜日

日経:団塊の世代の半数が国内移住を考えている……性懲りのないアホだ > 団塊の世代

このニュースに驚倒:
NIKKEI NET(日経ネット):: "移住希望、沖縄がトップ 団塊世代の中高年 日経調査
 日本経済新聞社が「団塊の世代」を中心とした中高年の男女約3000人を対象に、将来の移住先として関心を寄せている地域を尋ねたところ、沖縄県がほかの都道府県を大きく引き離してトップだった。年間を通じて温暖な気候や物価の安さを理由に挙げる声が多く、男女ともに人気を集めた。
 移住に関心がある、または検討していると答えた人は全体の半数近い1532人(既に移住した人を含む)。そのうち沖縄への移住を検討、または関心を持っている人は18.2%で、2位の北海道(5.9%)、3位の長野(4.7%)を大きく上回った。東京も関東を中心に移住希望者が多く、4位(4.5%)に入った。 (18:42)"
定年退職してから住む場所を替えるなんて自殺行為。「団塊の世代」はいつまで経っても大甘だ。

たぶん日本政府と地方自治体が大手広告代理店を使用してマスコミを動員してやっている「団塊の世代をスローライフの農村に呼び寄せよう」運動にコロッと洗脳された結果だろうが、自分の身の破滅になることがまるでわかっていない。地方自治体は都会の団塊の世代をイナカに呼び寄せることで一人あたり一億円の現金収入を見込んでいる(各県の目論見書を見ればわかる)が、いったいどれだけの団塊世代が一人あたり一億円の現金を持っているのか。お金をばらまかない移住者は期待はずれだとして周りからいじめられる。団塊の世代の運命的な末路だが、とても可哀想。

イナカの方が物価が安いというのも幻想。地産地消で輸入品は売ってないから食い物がめちゃ高い。イナカ住民は既得権側に属しているからお上から収入が保障される上に基本的に食い物は(親戚などから貰えるので)自給自足だから多少食料品物価が高くでも平気だが、イナカに既得権益を持っていない都会からの流れ者は現金で買わねばならず悲惨。

くわえて交通費がめちゃ高い。いくら団塊でもそれほど無謀ではないから都会の住居は維持するつもりだろうが、JRにしろ道路公団にしろフラグキャリアにしろ、採算の合わない新路線を建設してはその費用を既存路線の通行料金で回収することを繰り返しているから、日本の国内の移動には天文学的なお金がかかる。なんやかやで、イナカに移住すれば最低年数十万円の経費が余分に出て行く。今の金利でこれをカバーするために更に預金を1億円は余分に持たねばならない。イナカへの移住だけでほとんどの資産を食いつぶしてしまう平均的団塊の世代はとてもそれだけ持っていないはず。

それにもかかわらず団塊の世代の中高年の半数はイナカへの移住に憧れる。そのアホさとナイーブさ加減が団塊の世代たる所以か。どうしようもなく懲りない世代だ。

12/19 Today エミリー・ブロンテが死ぬ(1848)

エミリー・ブロンテ - Wikipedia: "エミリー・ジェーン・ブロンテ(Emily Jane Bronté、1818年7月30日 - 1848年12月19日)は、イギリスの小説家。ヨークシャーのソーントンに牧師の子として生まれた。

ブロンテ三姉妹の2番目で、唯一の長編小説『嵐が丘』を書いた。この作品は当初酷評されたが、没後に評価が高まった。ほかに三姉妹の詩を収めた『詩集』が評価されている。"

嵐が丘 - Wikipedia: "エミリーの死後、20世紀に入ってから評価が高まり、モームは自著『世界の十大小説』でその一つに挙げ、ブランデンは『リア王』『白鯨』と並ぶ英語文学の三大悲劇と評した。激しい愛憎描写や荒涼たる自然描写は圧巻である。"
合掌。

エミリー・ブロンテは、いわば「元祖引きこもり少女」。生まれてから30歳で死ぬまでほとんど家から外に出なかった。それなのにヒースクリッフという怪物を造り上げた。昔のオタクはすごい。



2008年12月18日木曜日

牛の拓いた牧場、山の急斜面が緑の牧場になった(斎藤晶さんの牧場)

今日の日経夕刊で目に止まった記事。農業関係で久々ぶりに心温まる話題だ。満州から引き上げてきた斎藤晶さんは、北海道の急斜面の山地に牛を放牧することで、山地を美しい緑の牧場に変化させた。

抜粋:

  1. 満州から帰ってきた斎藤さんに割り当てられたのは北海道旭川の傾斜地の石の山。ササだらけのひどい荒れ地。働けど働けど、ウサギとネズミの集中攻撃でどうしようもなく開拓農業に行き詰まる。みなと同じことをしていてはダメなんだと、山の自然をそのまま生かす形で牛を飼うことを思いついた。

  2. 斎藤さんは草も取らず牛を放して草を食わせた。牧草の種をまくだけ。牛はササや雑草を食べ、蹄で種を地面を踏み込む。やがて雑草は退化し牧草だけが残る。

  3. 急斜面で菜食するため足腰の強い牛に育つ。牛は舐めるように草を食べるのでビロードのような放牧地となる。すべて牛にまかせて放っておく。

  4. 北海道庁は斎藤のやり方を真似をしてはダメとの通達を出す(手間暇を掛けないと開墾とはならないと言って)。ところが酪農指導のために来日したニュージーランドの農業博士は「北海道庁は口を出すな、斎藤さんのやり方がいい」と絶賛。

  5. 日本の国土の70%は山。草食動物の餌は国内にある。どうして気がつかないのか、と斎藤さんは語る。

  6. 斎藤さんは自分の土地をみんなに開放している。教会や山小屋や幼稚園がある。「土地はあくまでも公共的なもの、みんなのもの」と斎藤さんは言う。

  7. 30年前から山には養蜂家が入っている。「乳と蜜は山から流れてくる。聖書にあるように乳と蜜の流れる里は理想郷。その理想郷がどうして日本国中の山地に広まらないのか」と斎藤さんは心から憂えている。


牛はカモシカと同じで急斜面でも生活できる。ベネズエラ山中のスイス人入植地を見たことがあるが45°程度の絶壁急斜面でも牛は平気で生活している。確か斎藤さんのこの放牧方法は30年ほど前に文藝春秋でも採り上げられたと思う。ところが日本では一向に広まっていない。なぜか。

人口的な飼育環境で、フォアグラみたいに強制的に餌を食わせ異常に不健康な肥満牛を育てた方が、霜降り肉だとか言ってよほど儲かるからだ。また日本の山林所有者が牧場として山林を使うことを許さないと言うこともある。

日本の狭い国土も、工夫次第でいくらでも手間を掛けないで活用する方法があるのだ。それを阻むものが農村儲け主義と土地利権と「手間暇を掛けてのこだわり生産こそ高く売れるので高付加価値を生む」とNHKが宣伝する神話的価値観。これが生産性の高い新しい工夫を阻んでいるのだ。

かくしてニッポンの牛肉価格は天文学的に高くなり、肉は贅沢品と化し、日本国民の一人あたり食肉摂取量は中国に遙かに負けてしまうことになった。オリンピックで負けるのも、むべなるかななのである。

12/18 Today 平賀源内が獄死(1779)

平賀源内 - Wikipedia: "平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日))は江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家(蘭画家)である。諱は国倫(くにとも)、号は鳩渓(きゅうけい)・風来山人・福内鬼外(ふくうちきがい)・貧家銭内(ひんかぜにない)など。通称は源内、元内とも。

天才、または異才の人と称される。鎖国を行っていた当時の日本で、蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残し、また平賀焼などの焼き物を作成したり、多彩な分野で活躍した。

安永8年(1779年)11月21日、2人を誤って殺傷して投獄され、12月18日獄死、享年52。"


気が多いというか、いろんなことをやった人だった。「土用丑の日」コピーを発明した本邦初のコピーライターでもあった。そういう人はなかなか畳の上では死ねない。凡人に生まれてよかった。

2008年12月17日水曜日

NHKクロ現:非正規社員に広がる鬱

今晩の「クロ現」は、わりかしまとも:
クローズアップ現代 NHK12月17日(水)放送 非正社員に広がる“うつ”~派遣切りが止まらない~

世界的な景気悪化で大規模な「派遣切り」が相次ぐ中、派遣社員や契約社員など非正社員の間に「うつ」などの心の病が広がっている。大規模な雇用調整が進む中、1700万人に及ぶ非正社員の心の健康をどう守ればいいのか。 深刻さを増す非正社員の「うつ」の実態に迫る。
雇用者の三分の一は非正規社員であるという。不況のしわ寄せがもろに彼らに行っているのが問題。

誰もがものを買わなくなった世界大不況。当然みんなが平等に痛みを分かち合うべきだ。ところがニッポンではその「痛みの配分」に著しい不公平がある。

一番痛みをこうむっているのが投資家(株主)だ。この1年で投資したお金は半分ぐらいになっている。今まで儲けてきただろうという指摘は当たらない。この10年、配当を含めた投資家へのリターンは、日本の場合一貫してマイナスであったからだ。なけなしの老後の生活資金を金融市場で「運用」してきた高齢者の財務状況は、軒並み、生存問題にかかわるぐらい、悲惨なことになっている。

企業も倒産が相次いでいる。今後も増えるだろう。企業経営者の自殺は今後確実に増える。

こういう事態にあっては、みんなが協力して未曾有の危機を乗り越えるのが、人の道だ。でも、連合は今年は「賃上げ」を要求する方針とのこと。また全農は恥ずかしげもなく米価の釣り上げを図っており、それに成功している。独立行政法人の職員は納税者から昼飯代を堂々とくすね取って平気だ。クビになる心配がない既得権集団はやりたい放題だ。いったい何を考えているのか。そのしわ寄せが、全部「非正規雇用者」に行っているのだ。

組合運動とは、昔の悲惨な労働環境を是正する意味では大いに意味があった。ところがいつしかそれが既得権化してしまい、自分たちの恵まれた労働条件を更に強化しようという運動となってしまうと、労働貴族と化した米国ビッグスリーの労組と同じで、国民から大反発を受けることとなる。

みんなが徒党を組んで自分のエゴばかりを主張するので弱者にしわ寄せが行く。ニッポンの共同体の美風はいったいどこに行ってしまったのだろうか。

「マックワールド」にアップルが参加しない!

あらら、驚いた。このニュース:
NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース-各分野の重要ニュースを掲載: "米アップル、見本市「マックワールド」出展取りやめへ
 米アップルは16日、毎年恒例の同社関連製品の大型見本市「マックワールド・エキスポ」について、2009年1月にサンフランシスコで開かれる次回を最後に出展をやめると発表した。見本市の目玉であるスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)の基調講演も次回は実施しない。"
「アップルが参加しないマックワールド」とは「○○○○のないコーヒー」。世界の経済情勢はここまで悪化したのである。

アップル社に限らず、自動車各社はこぞってレース競技から撤退しはじめている。広告費も軒並み大幅削減。これがやれるかどうかが、生き残れるかを決める。考えてみれば、今まであまりにどうでもいいことにお金を遣ってきた。「儲かっているうちに税金に取られるよりは将来への投資のためにお金を遣う」とかなんかいって、どんどん「扶養家族」を増やしたのだが、今はそういう情勢ではない。これまた「正常化」のプロセスだろう。

企業の場合、利益を税金で取られるよりはましだというまだ合理的な判断があった。しかし個人がどうでもいいことにバブル的な消費をしてきたことは何ら合理的判断はなかった。単に「空気に」踊らされてきただけ。この期に及んでまだ「バブル消費」を続ける個人は、相当考え方を改めない限り、今後の厳しい時代に生き残れないだろう。「○○産の超高級霜降牛肉」や「一個500円のイチゴ」とやらのブランド商品に騙されている場合ではないのである。

こういう時期に消費者が冷静になって「選択的買い控え」をすることこそ、日本政府が決してやろうとしない「既得権産業の淘汰」を実現させる鍵となる。ニッポンの将来のためにも「不当に高い商品」は買うな。

12/17 Today ライト兄弟の初飛行(1903)

ライト兄弟のひみつ: "朝起きると、毎秒9から11メートルの北風が吹いていた。マシーンを早々に納屋から引き出し、信号旗を揚げて沿岸警備隊施設に合図を送った。我々が飛行準備をしていると、ダニエルス、ドウ、エタリッジ、ブリンクリー、ムーアの5人が見学に集まって来た。エンジン、プロペラを回して準備を整え、10時35分、私は最初の飛行に向けてマシーンに乗った。この時の風速はおよそ9メートル強。(訂正、政府の公式な風速計では12メートル。)
  ロープを解き放すとマシーンは滑走を始め、11km/hから13km/hくらいまでスピードを上げた。マシーンは4番目のレールにさしかかったところで中に浮いた。ダニエル氏は、まさにレールを離れる瞬間をカメラに捕らえた。前方の昇降舵が重心に近いために過敏な反応を示し、上下運動を制御するのが非常に困難だった。結果としてマシーンは10フィート上がったかと思うと、今度は地面に向かって急降下した。レールの終端から100フィートくらいのところで突然地面にたたきつけられた。飛行時間12秒。
---1903年12月17日、オービル・ライト手記より---"
上記のリンク先サイトのライト兄弟に関する記述がとても詳しい。膨大な飛行写真コレクションもある。おすすめ。

ところでライト兄弟の二人、最初に飛んだのは兄か弟かどっちだろうか? 弟のオービル・ライトが最初に飛んだ。どっちが最初に飛ぶかをくじで決めた。儒教精神とは無縁なアメリカらしい話。

2008年12月16日火曜日

タケノコ包装の顔写真の偽造で業者が摘発される

NHKでも「ケシカラン犯罪だ」と報道された:
asahi.com(朝日新聞社):「私たちが作りました」農家の顔写真、実は工場従業員 - 社会: "農林水産省は16日、愛知県一宮市の食品加工会社「たけ乃(の)子屋」(森嘉仁社長)が中国産のタケノコ水煮を国産と偽って販売したとして、JAS法違反で改善を指示した。同社は熊本罐詰(かんづめ)(熊本市)など4社に中国産タケノコ水煮を販売し、国産として買い戻す手法で産地を偽装した。"
でも、重要なのは「顔写真」ではなく「中身」ではないのか。

最近こういうのが多い。ウナギの産地偽装を見破るのに味では分からないのでDNA鑑定を持ち出したり、とてもへんなのだ。重要なのは、そんなことではなく「中身」の品質なのではないか。

日本の消費者がいかにアホなのかを物語るような事件でありとても恥ずかしい。消費者が食品の実質価値を自分で評価できないからへんな「顔写真」に頼ることとなる。顔写真すら付いておれば二倍の値段を払うのだ。これはアホそのもの。これに便乗して悪徳商法がまかり通る。

自分で食う食品の品質ぐらいは自分で判断して欲しい。問題の大元は「国産品であれば安全」という神話を自分らが儲けるために意図的に流している農業水産団体と、そのお金で買収されて彼らのイヌと化したマスコミと、それに騙されているナイーブな消費者にある。

姉妹サイト Letter from Yochomachi (Google) の調子が悪かったのが回復しました

姉妹サイト (Google) の方が Windows で開かないとのご指摘があり、いろいろやっているうちに回復したようです。ご迷惑をおかけしました。

どうもサイドバーに入れていた iLike という音楽プレイリストが原因だったようです。これはベータ版だったからおかしなところがあったのかも知れません。

12/16 ボストン茶会事件(1773)

ボストン茶会事件 - Wikipedia: "ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん、Boston Tea Party)は、1773年12月16日に、アメリカ・マサチューセッツ州ボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の組織が、アメリカ・インディアンに扮装して、港に停泊中のイギリス船に侵入、イギリス東インド会社の船荷の紅茶箱をボストン湾に投棄した事件。アメリカ独立革命の象徴的事件である。"
不満があるならすぐ具体的行動に移す。これが大切。

以後の展開:
イギリス政府はこれに対して、翌年、ボストン港の閉鎖・マサチューセッツの自治の剥奪・兵士宿営のための民家の徴発などの強硬な「抑圧的諸法」を出してボストンを軍政下に置いた。植民地側は同年9月、フィラデルフィアに12の植民地代表を集めて第1回大陸会議を開き、本国議会の植民地に対する立法権を否認することと、イギリスとの経済的断交を決議した。このような緊迫した情勢の中で、翌年4月、ボストン郊外のレキシントンとコンコードでイギリス軍と植民地民兵が衝突し、ついに独立戦争が勃発したのである。

また、茶法に反対する一連の運動によって、植民地人の間にはそれまで愛飲していた紅茶をボイコットする者が多くなり、代わりにコーヒーが普及した。現在でもイギリス人に紅茶党が多い一方、アメリカ人にはコーヒー党が多いが、この不買運動に由来するものである。

具体的行動とは、別にインディアンの恰好をして茶箱を海に捨てることだけではない。イギリスに税金を取られるお茶のかわりにコーヒーを飲むというのも立派な具体的行動である。

ニッポンでも、納得のいかない重税高価格品目は一人一人が「買わない消費しない」という行動に移すだけで、ニッポンも相当変わると思う。

2008年12月15日月曜日

文藝春秋:「農水省 食料自給率のインチキ」(浅川芳裕)

文藝春秋新年号の記事。読むだけで憂鬱になるので、脳天気で行きたい人は読まないほうがいい。でも、やっぱり日本の将来を憂慮する人は読んだほうがいい。農水省は、最大手広告代理店を起用し、多額の国民の税金を遣って、自分が都合のいい方向に国民を誘導する「国民愚民化洗脳プロジェクト」を推進中であるよし。エコおばさんなんか、イチコロでやられてしまう。その結果ニッポンは一億総貧民化。怖い。

抜粋:
  1. 国民の9割以上が将来の食料に不安を持ち、食料自給率を高めるべきだと思っている。しかしこの指標は農水省の省益を誘導するためにつくり出されたものだ。

  2. 農水省が行っている「食料自給率」とは政策目標としては全く無効である。全く意味がない「カロリーベース」であるからだ。

  3. この「カロリーベース」の自給率計算式では、4分の1にも上る流通過程でも食品廃棄ロスが自給率の引き下げに計算される。本来の概念ではない。一人あたり農産物輸入額で国際比較をすると、一位は英国、二位はドイツ、三位はフランス、日本はフランスの半分で米国と大差はない。対GDPの農産物輸入比率を見ても全く同順で、日本は0.9%と、国力に占める輸入食料負担は大きくない。それどころか、日本は国内農業生産額で世界第五位の農業大国である。(注:食料品価格が高いからそうなるんだろうね)

  4. 食料自給率を高めるには、農水省の計算方式では食料輸入をゼロにすればいい。国民は飢えるが「食料自給率」はただちに100%となり、めでたしめでたしである。計算式自体がおかしい。生活実感にも即していない。野菜のカロリーが少ないために国産野菜は重量出荷額では8割以上を占めるに拘わらず自給率には反映されない。畜産酪農品の場合、供給カロリーに飼料自給率を乗じて計算されるため1000頭以上の豚を飼育してハム・ソーセージを作る有数の事業者でも飼料が輸入と言うだけで農水省の食料自給率への貢献は「ゼロ」。

  5. そもそも「食料自給率」などを計算して政策の根拠としている国はニッポンだけ(日本の植民地だったことがあり「農村利権」が日本同様に強い韓国では一部で使われているが)。農水省の発表する各国食料自給率なる統計は彼らが勝手に計算したもの。農水省にその計算根拠を問うと「食料安全保障の機密上公開できない」とのこと。理由は「戦争に備えるため」と農水省はいう。「外務省と農水省の立場は違う」(農水省)ので、農水省は政府方針を無視してニッポンが戦争をすることを前提に考えているのである(注:戦争になればあいつらが一番儲かる)。

  6. 国際的に普通に使われている「金額ベースの食料自給率」では、日本の自給率は66%となる。農水省は金額ベースの自給率国際比較を断固として公表しないが、計算すると日本の66%は「世界ナンバーワン」となる。

  7. カロリーベースの食料自給率は国民に食料輸入増に対する不安を訴えるために意図的に農水省が仕組んだものだ。今年17億円もの予算を計上して国民に対する広告作戦(洗脳作戦)を展開している。全国紙誌に全面広告を打ったほか、芸能人やオリンピック選手まで担ぎ出して「国民のみなさん、このままでは食べられなくなるよ」といった危機感を煽るメッセージを連呼している。この作戦事務局は、最大手広告代理店内にある。

  8. 目的は、農水省と農協と天下り団体が何らの努力をしなくても生き残る道を作るための農水省予算の維持・拡大にある。決め台詞が「コメの自給率100%」。これ以上作っても売れない、作っても売れないので減反せざるを得ない、国民の食料が危なくなるからお金をくれという論理。これは「タカリ制度」である。これを継続させるための隠れ蓑が食料自給率である。

筆者は「農業経営者」副編集長。現場を知り尽くしているだけに、説得力がある。一番アホなのは、テレビやマスコミの農水省肝いりの(おまけにわれわれの税金を使った)宣伝に騙されて、すっかり食い物国粋主義者となり「高くても買います、国産農産物」という風に洗脳されてしまった家庭の主婦とかの一般国民。なけなしの収入の多くの部分をあいつらに貢ぎ、さらに貧乏になってしまうのである。義憤を感じる。

ブッシュ、靴を投げられるも見事にかわす、運動神経がいい、尊敬するな〜

イラクでブッシュが靴を投げられたが、見事にかわした:
NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース-各分野の重要ニュースを掲載: "ブッシュ米大統領に靴投げつける 会見中にイラク人記者"
テレビで見たけれど、なかなかいい反射神経を持っている。普通の人だったらぶつけられていただろう。You Tube にも動画がある:

これ:



やはり体育会系に進むべきだった人だな。

12/15 皇帝ネロの生まれた日(AD37)

ネロ - Wikipedia: "ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37年12月15日 - 68年6月9日)またはネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス (Nero Claudius Caesar Drusus Germanicus) はローマ帝国の第5代皇帝。改称前はルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (Lucius Domitius Ahenobarbus) 。ローマを暴政の下に混乱させ、キリスト教徒を迫害し後世暴君と評された。"
キリスト教徒はともかく(そういう時代だったから)、自分の師であったセネカを殺したことは悪い。

当時のローマ人の食い物に対する執着は醜悪だった。とにかく量が多い。食っては吐き、吐いては食った。セネカがその風習を野蛮だと批判したことがネロの気に障ったのかも知れない(おいらの推測)。

現代日本でも、温泉旅館などの料理は、これでもかこれでもかという具合で、野蛮なローマの食事みたい。最近は家庭料理もこんな調子らしい。昔は日常ろくなものを食べなかったからハレの日にはその分大食いをしたのだが、その幸せ感が忘れられず普通(ケ)の日にもハレの食事をするようになった。メタボが増えるわけである。

2008年12月14日日曜日

「グロソブ」は本当に売りなのか?

今週の日経ヴェリタスは「グロソブ」問題。国民的ファンドに成長したグロソブは今たいへんな危機にあるという;
日経ヴェリタスonline [購読者限定サイト]: "巨艦グロソブどこへ行く、米欧金利低下で細る収益、減配に現実味。"

グロソブに限らず世界のソブリン債に投資する投信は軒並みたいへんな価格の急落に見舞われている。個人のお金が外債に流れるのを歯がゆく思っていた人たちが「ザマミロ、それ見たことか」とはしゃぐのは分からないでもないが、本当に売りなのか。

確かに現在は「円高」の流れにある。ついにドルで見て88円。円高こそが日本の国益であると断言する榊原氏が指導する民主党が勝ちそうだし、外債に投資している投資家にとっては当面逆風が吹くことは間違いのないところ。グロソブは平均レベルから2割、また普通の外債ファンドは3割下落している。株価の急落と同じようなペース。売ってしまいたいと恐怖心に駆られるのはよく分かる。おいらも今日一日熟考した。でもやはりホールドで行く。理由:
  1. 円は所詮ローカルカレンシー。たまたま円高になっているにしても世界標準から見れば突発的な現象でしかない。しょせん円高バブル。自分の財産を測る尺度はあくまでも基軸通貨であることを忘れてはいけない。為替は上がったり下がったりするものなのである。

  2. 世界の金利は確かに低下傾向にあるから、外債ファンドはたいへんと言うが、円だったらもっと高金利が享受できるのか。投信会社への信託報酬を払っても外債の方がいまだに遙かに金利が高い。

  3. 高齢者にとってお金は使うものであって、墓場に持っていくものではない。外債(ストレート債)を買えば手数料を節約できるが、外貨で利金を貰っても面倒くさいだけ。円で利金を払ってくれるグロソブはとても便利。元本がどうなろうとそれはこどもたちが心配すること。おいらには関係ない。そもそも保険会社の個人年金なんかに払い込んでしまうと元本はゼロになるのでグロソブの方がよほど子孫のため。

  4. 短期的な円高はやむをえない面がある。世界が大不況に陥っているなか、日本の輸出を抑えることが世界経済の回復の鍵だから。これはニッポンの国際貢献。日本の基幹産業への打撃はすさまじくもとより長続きできるものでもない。経済がダメになれば当然円安。榊原センセーがどう言おうと、日本はしょせん「物作り」でしか生きていけない国なのだ。円高こそ国益というのは10年早い。

  5. 為替であるが、今後1ドル70円になるという観測もあるが、そもそも円の歴史を考えてみるがいい。円は明治4年に発足したが、その時のレートは「1ドル=1円」。日本政府は借金で分不相応な戦争を繰り返したので第二次大戦までは一貫して円安が進む。戦後360円で再スタートした円は一転して円高方向に進む。最近ようやく「1ドル=100円」で定着しそうになっている。デノミがあれば1ドル=1円。万物は流転して元に戻る。ちょうどこの辺りが一番おさまりが良いのである。


よって外債はホールドすることにしたのである。投資には長期的な視点が必要。

12/14 Today 忠臣蔵、いよいよ討ち入りの日(1703)

元禄赤穂事件 - Wikipedia: "江戸城中で赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が高家旗本の吉良上野介義央に対して遺恨有りとして殿中刃傷に及ぶが、討ち漏らして切腹処分となった。その後、浅野の遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47士が元禄15年12月14日(1703年1月30日)に吉良屋敷に討ち入り、主君に代わって吉良上野介を討ち果たし、その首を泉岳寺の主君の墓前に捧げたのち、幕命により切腹した。"
夜中に人の屋敷に大勢で乱入し無抵抗の老人を殺すとは現代の常識では「う〜ん」というところだが、この際、固いことは言わない。面白ければそれでいいのだ。

吉良上野介はいまでいう「いじめっ子」。いじめられた浅野内匠頭は「切れて」(乱心して)殿中で刃傷沙汰を起こす。吉良は無抵抗だったので喧嘩両成敗とはならなかったが、それが恨みを残し赤穂浪士の集団仕返しにつながる。

自分の不満を旨く表明できない社会ではよくこういうことが起こる。単純明快でよろし。いまだにすぐ「切れる」子供が多いのは先祖帰りか。

2008年12月13日土曜日

12/13 Today サミュエル・ジョンソンが死ぬ(1784)

サミュエル・ジョンソン - Wikipedia: "サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson, 1709年9月18日(ユリウス暦では9月7日) - 1784年12月13日)はイギリス(イングランド)の文学者。「英語辞典」(1755年)の編集、シェイクスピアの研究で知られる。"

オートミールをバカにしたことでも有名。


つまり:
エンバク - Wikipedia: "スコットランド人嫌いの詩人・批評家サミュエル・ジョンソンが同時代の辞書に残した燕麦の有名な定義がある。

Oats: A grain, which in England is generally given to horses, but in Scotland appears to support the people. (Samuel Johnson, 1755, A Dictionary of the English Language)

訳:燕麦 穀物の一種であり、イングランドでは馬を養い、スコットランドでは人を養う

これにはスコットランド人も激怒し、サミュエル・ジョンソンの弟子でもあったジェイムズ・ボズウェルはお返しに、ユーモアを込めて次のように反論したという。

Which is why England is known for its horses and Scotland for its men.

訳:それ故に、イングランドはその産する馬によって名高く、スコットランドは人材において名高い"

これはボズウェルの勝ち。オートミールはコメより安いし、コルステロール値を下げるのでおすすめ。

2008年12月12日金曜日

「生活防衛のための緊急対策」には最大の痛手をこうむった弱者への救済策が盛り込まれていない

大盤振る舞いの大バラマキ。でも今回の金融危機の最大の被害者への救済策が入っていない:
asahi.com(朝日新聞社):生活防衛 総額23兆円規模の追加経済対策 首相が発表 - 政治: "麻生首相は12日夕、首相官邸で記者会見し、新たな雇用対策などを盛り込んだ総額23兆円規模の「生活防衛のための緊急対策」を発表した。09年度予算案で、雇用創出のため地方交付税を1兆円増額し、経済危機に対応するため1兆円の予備費を新たに設けることが柱。また、首相は3年後に消費税率を引き上げる考えを改めて強調した。"


最大の被害者とは、現実に損失を出している投資家である。その多くは定年退職後の都市生活者の高齢者で、なけなしの老後の資金を少しでも増やそうと「資産運用」していた人たち。彼らのほとんどが老後の生活資金の半分を失った。

もちろん投資は自己責任である。損したことに文句を言う人は少ないだろう。でもこの「生活防衛のための緊急対策」とやらは、まだ表面化していない「被害者」に保証を与えて経済を硬直化させるものにしか過ぎず、経済全体への負担を更に増やすことで景気の回復を先延ばしするものでしかない。証券市場は更に低迷し、大損をした高齢者層は更に損をすることとなるだろう。

農村生活者は住むところがあり食い物を自給自足できるから世界大恐慌が起こっても平気(むしろ得をする)。恐慌はもろに都市住民の生活に直接的な悪影響を与える。特に金融資産だけが頼りである高齢者の生活は悲惨なものとなる(なっている)。公共料金と税金を払ったらなくなってしまうような公的年金だけでは生活できないからである。

だから、高齢者は質実剛健の節約生活を今以上に徹底させる以外に生存のすべがない。かくして恐慌が日本経済に与える影響ははますます悲惨なものとなるのである。

asahi:黒毛和牛やマグロ、コシヒカリといったブランド価値がある農水産物を担保にした融資手法が広がっている

asahi.com(朝日新聞社):ウナギ・和牛・マグロ…名産品担保に融資、急増 - ビジネス: "黒毛和牛やマグロ、コシヒカリといったブランド価値がある農水産物を担保にした融資手法が広がっている。金融庁によると、動産登記制度が始まった05年度に27件計47億円だったのが、07年度は19倍の517件、金額にして30倍の計1417億円に上っている。景気低迷とともに資産価値が下落している地方の土地や建物だけでは融資が難しい。生産者にとって国産食材の安全性が切り札となっている。

 動産・債権譲渡担保融資(ABL)と呼ばれる。"
まさチューリップ・バブルと同じ現象が現代ニッポンで起きている。

一個十万円のマンゴーとかメロンは、それだけの値打ちはない。もうたくさん。最近は一個500円のイチゴが売り出され、NHKはそれを宣伝している。アホか。国民を舐めるにもほどがある。

国民がこのアホらしさに気がついた途端、あいつらは「裸の王様」であることが白日の下にサラされる。こんなアホなものを担保に貸し込んでいる金融機関は、全部つぶれることとなる。

三菱UFJはこんなことにのめり込んでいるようだが、あんな公募株は決して買ってはいけません。やばい。

ビッグスリー救済法案が流れる……アメリカ人はすごいな

あらら、米国上院では「正論」が勝つのだ:
〔アングル〕米ビッグスリー救済法案審議打ち切り、日本勢の部品調達や販売網に混乱のおそれ
Reuters
: "[東京 12日 ロイター] 米ビッグスリー救済法案が事実上廃案なり、経営環境の悪化に苦しむ日本の自動車メーカーにとって、さらに大きな負担となりかねない展開となってきた。米政府による救済の可能性が残されているものの、仮に破たんすれば米経済を一段と冷え込ませるだけでなく、部品調達や販売網に支障が出るおそれがあり、日本メーカーの米国事業は今まで以上の逆風にさらされる。"
おいらはGMの社債をすこし持っているので救済がなされないと損をするが、これだけ率直に「効率の悪いものは消えてなくなれ」と言われると、まさにその通りなので爽快な敗北感がある。「敵ながらあっぱれ」と妙に尊敬してしまった。

それに引き替え、わがニッポンではどうしようもない非効率産業が延々と延命「治療」を受けている。とっくの昔に淘汰されるべきである産業を死なせず無理やり胃瘻なんかで生き続けさせているのだ。お金が際限なく出ていくがコストを払うのは国民。これじゃ経済が今まで20年間も低迷を続けているのもむべなるかなだ。

これだけドラスティックなサプライサイド対策(つまり救済しないことこそサプライサイド政策なのだ)が打ち出されるアメリカ経済の立ち直りは意外と早いと思う。でもバラマキしか考えられない日本政府のもとでは(「国民生活防衛対策」とか言うらしい)、ニッポン経済の回復はまたしても取り残されることになるのだろう。更なる「失われた十年」が待っているように思う。

12/12 Today 小津安二郎が死ぬ(1963)

小津安二郎 - Wikipedia: "小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。

地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィクスショットを特徴とし、ローポジションの映画監督としても知られている。このローポジションで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。 なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない、すなわち切り返しのショットにおいてイマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘されている。この指摘は小津の生前から数多くなされていたが、小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。こうした映画文法の意図的な違反が、独特の時間感覚とともに作品にポジティヴな違和感を生じさせており、特に海外の映画評論家から評価を得ている。"


昨晩テレビで「新的中国人 上海シティーボーイの憂鬱」(中国人監督による中国人の生活ドキュメンタリー)を見ていたら、不思議に小津の匂いを感じた。こういう匂いは現代ニッポンではなくなってしまった。

2008年12月11日木曜日

NHK「クロ現」:コンビニ24時間営業はどうか

またもやクサイ番組:
クローズアップ現代 NHK揺れる24時間“コンビニライフ”

埼玉県・神奈川県・広島市・・・地球温暖化対策の一環として、コンビニエンスストアの深夜営業見直しを検討する自治体が相次いでいる。これに先駆け、京都議定書採択の地・京都市では8月から市民会議を発足させ議論を始めた。市民からは「若者が夜型になり非行を助長」というものや、「防犯や災害時のライフラインとして必要」といったものまで様々な声が市に寄せられている。
結局「みんなのライフスタイルはこれでいいのか」というアホくさいお説教を垂れる番組になってしまっていた。

おいらのライフスタイルはおいらが決める。NHKや大学の先生とやらの「エライ人たち」が口を挟む問題ではない。

ましてそういう「コンビニ24時間営業批判」が既存の生産性が悪い「伝統的」小売店の既得権擁護の政治的圧力から来ているのであれば、なおさらである。

ダメな麻生太郎も「農村既得権益」を切り捨てれば選挙に勝てるかも?

というのは、農業協同組合新聞のこの記事:
農政ニュース/JACOM: "「WTO交渉が議長提案のまま合意すれば、農林漁業や農山漁村に禍根を残す」と民主党、日本共産党、社会民主党、国民新党の4党は12月10日、「農林漁業・農山漁村の再生に向けた緊急集会」を開いた。
 4党代表者はそれぞれ、
「本来なら食料自給率は50%でなく、100%を目指すべき。そのために農政の抜本的改革が必要だ」(民主党幹事長・鳩山由紀夫)
「財界や企業の利益優先で、農業者に妥協を求めるようなことは許されない」(日本共産党国会対策委員長・穀田恵二)
「農家の人々が暮らせる農業を目指すためにも、WTOを粉砕する」(社会民主党党首・福島みずほ)
「日本農業の風土・文化・伝統を、勇気をもって守っていく」(国民新党副代表・自見庄三郎)
などと決意表明。"
開いた口がふさがらないとはこのこと。いくらニッポンの農村が一票格差のおかげで巨大な票田であり彼らを味方に引き込まないと選挙に勝てないという現実があるとしても、野党党首たちの発言はあまりに彼らに媚びた発言であり、都市住民の利益のみならず日本の国益を踏みにじるものである。民主党も見損なったな〜。

支持率が悲惨な状態にある麻生太郎は、野党がこんなアホなことを言っていることを逆手にとって、乾坤一擲の逆襲を挑むべきである。都市住民は長年続いている農村住民のエゴに辟易している。ここで麻生が「農村利権を断固否定しなければ日本の将来はない」とはっきり打ち出せば、必ず都市住民をはじめ一般国民は自民党に投票する。おいらも投票する。小泉純一郎が大成功をおさめたパターンである。

麻生太郎に目が残っているとすれば、既得権で肥え太った農村を切り捨て、真の国益を追求する正論に立ち返るしかない。自民党は目を覚ませ!

チェーンソーの扱いは「常識を働かすこと」

前から欲しかったチェーンソーを買った。東芝製で軽くて安い。カインズでは5900円で売っている。地元の人は数万円もする専門メーカーのものを使っているが都会の貧乏ド素人にはこれで充分。取扱説明書を読むと「常識を働かすこと」と注意書きが書いてある。なんだと思ったが、これが大切だとわかった。

チェーンソーは危険な道具で、「キックバック」といってチェーンソーが自分の体に向かって跳ね返る現象もあり、十分注意して使う必要がある。注意書きにはチェーンの延長線上に自分の体を位置させないこととか、安全眼鏡と手袋をはめることとかいろいろ書いてあるが、「常識を働かせること」と書いてあったのには笑った。でも、これが一番大切なことだったのです。

チェーンオイルを入れて丸太を剪りまくって大満足。実に簡単。終わって油と木屑でベトベトになっているチェーン部分を脱いだ軍手で拭いていたらいきなりモーターがかかって軍手が巻き込まれた。ああ、こわ。ついうっかりハンドルを持ったところロック解除のボタンとスタートボタンを同時に握ってしまったのだ。自分の指じゃなくってよかった。

プラスドライバーでカバーが簡単に外れるので電源コードを外して分解掃除。おいらもこれで木樵のまねごとが出来る。常識はくれぐれも大切に。

12/11 ソルジェニーツィンが生まれる(1918)

アレクサンドル・ソルジェニーツィン - Wikipedia: "アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(ロシア語:Александр Исаевич Солженицынアリクサーンドル・イサーイェヴィチュ・サルジニーツィン;ラテン文字転写の例:Alexandr Isaevich Solzhenitsyn、1918年12月11日 - 2008年8月3日)はロシア生れの作家で1990年代ロシア再生の国外からの提言者である。ロシア文字からそのままローマ字にするとAleksandr~だが、英文ではAlexander~と表記されることが多い。"


著書
『イワン・デニーソヴィチの一日』 Один день Ивана Денисовича 1962年。新潮文庫。岩波文庫。
『煉獄のなかで』 В круге первом 1968年。邦題は意訳で、原題は「第一圏にて」。新潮文庫。
『ガン病棟』 Раковый корпус 1968年-1969年。新潮文庫。
『収容所群島』 Архипелаг ГУЛАГ 1973年-1975年。新潮文庫。
『仔牛が樫の木に角突いた』 Бодался теленок с дубом 1975年。邦訳の副題「ソルジェニーツィン自伝」。新潮社。
『自由への警告』邦訳1977年。アメリカでの講演やBBCのインタビューなどを収録。染谷茂訳。新潮社。
『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』 1990年。日本放送出版協会。
『廃墟のなかのロシア』 Россия в обвале. Москва 1998年。草思社。

「イワン・デニーソヴィッチの一日」で主人公がようやく手に入れることが出来る靴を革靴にしようかフェルト靴にしようかと長いこと悩む描写がある。結局フェルト靴にした。極寒の気候ではフェルトの方が保温性がいい。でも夜にストーブで乾かす際に焼けこげを作ってしまうと一巻の終わりなのだ。こういう細かい描写が実に面白かった。神は細部に宿る。

2008年12月10日水曜日

『ゴールド ― 金と人間の文明史』(ピーター・バーンスタイン)

いま世界では「100年に一度」のたいへんなことが進行中。こういう事態を生きているうちに体験し歴史の証人となれる現代人は幸運である。ワールドカップより面白い。でもそのためには少しは勉強したほうがいい。そういう意味でこの本はとてもおすすめ。



古代エジプトからグリーンスパン時代まで、世界の歴史を「ゴールド(金)」というキーワードで実に細かく解説した本。著者の博覧強記ぶりはすごい。裨益すること多大。人類の歴史は「ゴールド(金)」を巡るバカ騒ぎの歴史であったことを再認識できる。

ひとつちょっと気になった点。バーンスタインは有史以来、人類はゴールドの束縛から逃れなかったことで多大の災難が引き起こされた、世界が金本位制から離脱したことこそ「進歩」であったとする歴史観に立つこと。

人類の歴史は数千年。世界が金本位制を完全に離脱したのはニクソンが勝手に決めたことで、金から離れた変動為替制度は数十年の歴史しかない。ゴールド(金)の束縛から逃れたことが世界の安定的な経済成長をもたらしたことは認めるが、同時に「ゴールド(金)」のタガが外れたことで世界経済は風船のように舞い上がってしまったとも言えるのではないか。ゴールド(金)の制約があったのなら、これほどまでバブルを膨らますことはなかったのではないかとも思う。

12/10 アルフレッド・ノーベルが死ぬ(1896)

アルフレッド・ノーベル - Wikipedia: "アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。なおスウェーデン語ではNobelのアクセントはbeに置き、ノベールとなる。"
ノーベルは生涯独身だったらしい。

ダイナマイトとは:
ダイナマイト - Wikipedia: "1846年に発見されたニトログリセリンは、鋭敏な爆発物で爆薬としての実用は困難であった。アルフレッド・ノーベルは1866年にこれを珪藻土にしみ込ませ安全化し、さらに雷管を発明して爆発のコントロールに成功した。1875年にはニトログリセリンと、同様に爆薬である低硝化綿薬(弱綿薬)を混合してゲル状とし、珪藻土を用いたときと同様に安定化するのに成功したブラスチングゼラチンを発明して、不活性物質である珪藻土の使用を止め、爆薬の威力を高めた。彼はこれらを事業化し多大な利益を得た。Dynamiteはギリシア語のdunamis(ちから)からきている。"

ニトログリセリンといえば、この映画:
恐怖の報酬 - Wikipedia: "恐怖の報酬 (きょうふのほうしゅう、Le Salaire de la peur) は1953年制作のフランス映画。中米を舞台に、危険なニトログリセリンを運ぶ仕事を請け負った4人の男達を追うサスペンス映画。"




「恐怖の報酬」は南米ベネズエラでのお話し。ノーベルがダイナマイトを発明してから何十年も経っているのに、油田火災の消火にはまだニトログリセリンが使われていた。爆発力が違ったのだと思う。

2008年12月9日火曜日

NHK「クロ現」田母神前航空幕僚長論文……「クロ現」にしてはいい番組

あのウヨでナショナリストのクニヤが今回の田母神論文について何を言うのか興味深かったので見てみた:
NHK クローズアップ現代「空幕長論文はこうして発表された」▽田母神前航空幕僚長が政府と異なる見解を発表した論文。その後、更迭される事態となったこの論文はなぜ発表されたのか、関係者の証言を元にその背景を伝える。
至極まっとうなことを言っていて、拍子抜け。

でも、問題の本質はシビリアンコントロールとか言うエレガントな問題ではないと思う。組織員を安上がりに働かせてこき使うためには、ウソでもいいから「大義」を信じ込ませるのがいいという、日本の支配階級の伝統的な大衆操縦法にある。ウソでもいいから「モラルアップ」なのである。アホウヨの田母神氏もそれを考えてのこともあるのだろう。これは自衛隊に限らない。

外務省のOBで、あまりに正直だから出世しなかったさる大使に聞いたことがあるが、ニッポンでは、教育において「ニッポンはエライ」と教えて愛国心を子供に植えつけることこそ義務教育の使命なのであるとか。騙された子供はみんなよく働くようになるという。「お上」の政策に忠実な日教組がやたら日本至上主義(攘夷主義)を無垢なこどもたちに教え込んでしまった。これが今のネットウヨを生んでいる。

田母神論文も、こういう観点から読むと、実に興味深い。

ニッポン農業のエゴを守るためにはWTO交渉を決裂させたほうがいいと息巻く自民党の農水族

日本の消費者にとって最近いいニュースが少ないが、WTO議長提案は例外的にグッドニュースだった。食い物が安くなるのは大歓迎:
asahi.com(朝日新聞社):WTO事務局が合意案の最新版、重要品目は「6%」に - ビジネス: "【ジュネーブ=尾形聡彦】年内の大枠合意を目指す世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)で、WTO事務局は6日、閣僚会合交渉のたたき台となる合意案の最新版をまとめ、加盟国に送付した。農産品の関税引き下げを大幅に緩和できる「重要品目」については、関税対象品目の4%とし、一定の条件つきで2%の上乗せができる合計「6%」とされ、日本が求める「8%」は盛り込まれなかった。"
しかし、さっきのNHKニュースでは自民党の農水族議員が「ニッポンの農業にとって悪い合意なら無い方がいい、WTO交渉を決裂させろ」と息巻いているという。もしそうなると世界は保護貿易主義に向けてまっしぐら。世界恐慌は避けられない。いったいあいつらは何を考えているのだろう。

カネが欲しいならはっきりそう言え。少々のカネなら払うから黙って温和しくしていて欲しい。世界経済はそれどころではないのである。

それを知りながらこういう脅し発言をする。ニッポンの農水族は、まるでヤクザだ。

12/9 Today 夏目漱石が死ぬ(1916)

夏目漱石 - Wikipedia: "夏目 漱石(なつめ そうせき、慶応3年1月5日(1867年2月9日) - 大正5年(1916年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、金之助。『吾輩は猫である』『こゝろ』などの作品で広く知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。"



いろいろ悩んで苦しんだ人。明治という時代と世界のなかのニッポンという存在に悩んで苦しんだ。漱石の考えが一番素直に出てくるのは、やはり講演だと思う(「私の個人主義」、「現代日本の開化」ほか)。漱石は講演の名手でもあった。文庫に収録されている:



2008年12月8日月曜日

『大暴落 1929』(ジョン・K・ガルブレイス)

株価が暴落する度に読み返されてきた古典中の古典。おいらも読み返してみた。やっぱり古典は何度読んでも損はしない。

この本:



つくづく納得してしまうのは、バブルもバブルの破裂も、人間の「性(さが)」であるということ。これは人間が人間である限り、性懲り無く繰り返されるものなのであろう。「賢明な政策」とやらで、それが避けられたり治療できるとするのは、所詮迷信に過ぎないということ。バブル崩壊への対処方法についてもいまだに人類の知恵は確かな対策を発明できていないのだ。

今回の「超バブル」の崩壊についても1929年当時と驚くべき類似性がある。人間は性懲り泣く同じことを繰り返す動物なのである。

オバマが何をしようと、今回のバブル崩壊が、1929年に匹敵する世界大恐慌に発展する可能性は、半分ぐらいの確立で厳然と存在すると思う。1929年代恐慌では10月の大暴落の後、翌年の3月にはある程度戻すが、その後、継続的に株価の下落が続く。株価は10月の大暴落後の株価が「懐かしい」と思うぐらいのレベルまで下落し、それが定着してしまうのである。政府は考えられるすべてのことを試すが、人間の心理には打ち勝てない。

背景にあるのは、近代社会における消費とはその95%までは単なる「衒示的消費」であるとするヴェブレンの指摘。要は消費のほとんどが不必要な無駄遣いにしか過ぎず、無くても済まされるものなのである。株価暴落で資産を失った市民は、こぞって無意味な消費はやめる。それをやらないとデフレで更なる大損をこうむることになるからである。個人としては賢明な選択ではあるが、それが世界大恐慌をもたらす。



現代社会ではセイフティーネットが整備されているから大丈夫だとする議論は楽観的すぎる。消費のほとんどが絶対的生存レベルのものでない以上(それは1920年代より今の方が言えている)、いくらでも節約するリーウエイが存在するからである。それにセイフティーネット自体が調整を長引かせるという可能性もある。「株が下がって今こそお買い得」なんかというセールストークに乗って今の値段で株を仕込むと手ひどい目に合うことになりかねない。こういう非常時には、損切りに遅すぎると言うことはないのである。また江戸時代の札差しのような(初鰹は女房を質に入れてまで食うという)カッコワルイ「平成バブル見栄消費」と決別するいい機会でもある。

麻生太郎:「世界の宗教の7割では、労働は"罰"」

さすが耶蘇教徒の麻生太郎は、聖書に詳しい:
NIKKEI NET(日経ネット):首相「7割の宗教で労働は罰」 日本は「善」と認識: "麻生太郎首相は7日の熊本県天草市での演説で、高齢者雇用問題に触れた中で「世界中、労働は罰だと思っている国の方が多い。旧約聖書では神がアダムに与えた罰は労働。旧約聖書、キリスト教、イスラム教、足したら世界の何割だ。7割くらいの宗教の哲学は労働は罰だ」と述べた。日本については「天照大神が高天原を見たら神々は働いていたと古事記に書いてある。我々は働くのは正しいと思っている」と指摘した。"
確かに神様はアダムに「労働」、イブには「出産」という罰をお与えになった。

病院の分娩室を英語で「レイバールーム」というのは、ここから来ている。「労働」という言葉のラテン語源も、そもそもは「拷問」と同じ。分娩も労働は苦しいことなのだ。出来ればやめたい、これ人類の常識。だからこそ苦しいことを少しでも楽にさせるべく、いろいろ工夫がなされた、これぞ人類の進歩。

麻生太郎はどこまで考えているのかは知らないが、これを勝手に「ニッポン万歳」ドクトリンにこじつけてしまった。古代日本ではそこまで考える人がいなかっただけで、あまり頭がいいとは思えない(安倍ボクちゃんよりは教養がありそうだが、所詮知ったかぶりのお坊ちゃん)。内閣支持率が急降下しているのも、むべなるかなである。

12/8 Today 真珠湾攻撃(1941)

真珠湾攻撃 - Wikipedia: "真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾[1]にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃である。"

上の写真がすごい。まるで「9・11」。

宣戦布告が遅れた理由について:
宣戦布告遅延問題

真珠湾攻撃が宣戦布告を伴わない奇襲攻撃という認識が現在でも一般的であるが、外務省がパープル暗号で送った命令書[8]では当初は攻撃開始30分前の宣戦布告を予定していた。しかし、東京から宣戦布告を告げる内容の電文が送信された際、日本大使館員全員が宿直も置かず、大使館を空にして同僚の送別会を行っていた事[9]、新庄健吉の葬儀へ来栖三郎特命全権大使、野村吉三郎大使が参列した事など、諸事情によりワシントンの日本大使館一等書記官奥村勝蔵の英訳親書のタイプが大幅に遅れ、攻撃開始時刻に宣戦布告が間に合わなかった。

この件については、誰も処分されておらず、外務省はこの遅延に対し調査委員会を設立し調査を行ったが、調査結果は長らく公表されなかった。1994年11月20日、外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めた。現在、この資料は外交史料館報 第8号で閲覧可能である。

また、調査委員会設置以来、奥村の上司である館務総括参事官の井口貞夫の責任を問う説が存在するが、これに対して井口は生前「自分の管掌事務ではなく承知していなかった」と主張し、息子にあたる井口武夫元ニュージーランド大使も外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。

ただし留意しなければならないのは、宣戦布告が攻撃直前に行われた場合は同じように国際条約の違反になることである。

以上が公式見解であるが、日本は日清戦争でも日露戦争でも奇襲攻撃で戦争を始めている。奇襲攻撃は自分よりも強い相手に戦いを挑む場合に勝つ確率を高めるための常套手段であり、いわば日本軍のお家芸。昭和に入って急に「ニッポンの伝統」を無視するとはちょっと考えにくいのでやはり意図的に宣戦布告文書の手交を遅らせたと考える方が自然。

2008年12月7日日曜日

山中湖の現在気温はマイナス8度

今朝起きて、山中湖の気温を見てみると、マイナス8度。寒いけれどとてもいい天気で富士山はこんな具合。ここでチェックできる:
山中湖村 - 絶景くんの富士山中継


行きたくなってきた。

2008年12月6日土曜日

日経「春秋」:アホな「ブロッガー」は「国籍法」に反発している……そりゃ馬鹿にされるわな〜

日経の調べではニッポンの「ブロッガー」は国籍法に反対しているらしい。春秋コラムでも揶揄されている:
NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋-日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋: "驚いたのは先月下旬の1週間、インターネットのブログ(日記風の簡易型ホームページ)に記された話題の断然トップが「国籍法」だったということだ。背景は判然としないが、大半は改正反対論や慎重論だった。国会の動きを見ると、ネット上を行き来する大量の情報も圧力団体になりうる時代になったらしい。"
ネットで書き込む人間は所詮その程度と言われてしまった。とても次元が低い動機からの発言ばかりだから、しかたがないとも言えるが、これを煽ったのはNHKなのである。

NHKは昔から一貫してそれをやっている。2005年のNHK「クローズアップ現代」ではこんな報道があった:
NHK「クローズアップ現代」:中国人の偽装認知問題……NHKはここまでウヨクになったか!: "今晩のNHK「クローズアップ現代」には失望した。中国人の偽装認知問題を取り上げ、無理やり犯罪多発問題に紐付けている。見損なった。"

ニッポンの落ちこぼれは自分の国籍しか頼るものがない。腐ってもおいらはニッポン人だ、だからいい生活をする権利がある、この美味しい既得権を誰にでも与えてしまうと自分の利益が希薄化してしまうから反対というとても合理的なエゴイズム。かくして落ちこぼれはウヨとなり、外国人を排斥し、グローバリズムに反対し、一般国民の利益を損なう。すべて自分で努力するのが嫌で自信がないからだ。カッコワルイのである。

その風潮をNHKが煽るのは、NHKこそが自分の国籍にしか頼れない企業体であるからであり、まさにその理由で、生産性が極度に悪い特定産業と地域の利益を代弁しているのだ。NHKは「ノーソンウヨ」に成り果てている。

ともあれ日経の調査では、ネットは外国人排斥のムードに溢れているらしい。ネット(日経では「ブロッガー」と紹介されている)も所詮コンプレックスまみれの「落ちこぼれ」の巣窟なのか。所詮まったくメインストリームではない世界だが、ウヨばかりだと思われるのはしゃくに障る。ウヨはNHKなんですよ。

iLike: これ面白そう!

Blogger Buzz に発表されている:
Blogger Buzz: iLike: Add a soundtrack to your blog: "iLike brings music to your blog by letting you embed and share playlists that you make yourself. Using their simple interface, you can organize and arrange your tunes, then seamlessly integrate them into your blog's sidebar."
さっそくサイドバーに組み込んでみたらちゃんと動く。でも著作権問題はどうなっているのかしら。

とりあえず Take Five と Cat Stevens (Tea for the Tillerman)を入れてみた。両方ともおいらが購入済みのものだが、購入しなくても Play List に表示され、ちゃんと聴くことが出来るようだ。

12/6 Today 水戸光圀公(水戸黄門様)が死ぬ(1701)

徳川光圀 - Wikipedia: "生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)死没 元禄13年12月6日(1701年1月14日)72歳頃より食欲不振が目立ち始め、元禄13年(1700年)12月6日に食道癌のため死去。享年73(満71歳没)。

同時代から言行録や伝記を通じて名君伝説が確立しているが、江戸時代後期から近代には白髭と頭巾姿で諸国を行脚してお上の横暴から民百姓の味方をするフィクションとしての黄門漫遊譚が確立する。水戸黄門は講談や歌舞伎の題材として大衆的人気を獲得し、昭和時代には映画やテレビドラマなどの題材とされた。テレビドラマに関しては、今でも続いている。"


あのテレビドラマは時々見る。「この紋所が目に入らぬか〜」と印籠を取り出すと、悪代官らが「はは〜」と平蹲り、すべてが解決する。とても気持ちが良い。単純極まりないのがいい。

現代日本の黄門様と言えば、マスコミか、検察庁か、公正取引委員会か。彼らが「悪い奴」をつかまえると、国民は「ザマ〜見ろ」と小躍りして喜ぶ。その「悪い奴」の態度がいままででかければでかったほど嬉しい。

でも、現代日本の「黄門様」に捕まらない良い方法がある。弱者のふりをすること。繰り返して繰り返して「おいらは可哀想な弱者なんだ」と叫び続けるのだ。そうすれば「黄門様」としても、折角つかまえても大衆に喝采されないだろうから、最初から目を付けないのである。

現代日本では、こういう弱者が団結して政治的に強くなり、利権を自分たちに誘導し、最終的には経済的にも強者に成り上がることが多い。誰のチェックも受けないから、やりたい放題だ。

こうして日本では、ホントに悪い奴らがのうのうとのさばることとなる。本来は零細農家の協同組合である農協(全農)も、今や巨大独占企業集団となり、しかも独禁法の規制も受けないから、やりたい放題なのである。

2008年12月5日金曜日

ホンダ、F1から撤退……さすがはホンダ、無駄を省くこそ生き残り経営

NIKKEI NET(日経ネット):: "ホンダ、F1撤退発表 福井社長「経営環境が悪化、回復に時間」
 ホンダは5日、自動車レースの最高峰フォーミュラ・ワン(F1)から今年限りで撤退すると発表した。年間で約500億円とされるチーム運営費が経営の重荷となっていた。同日午後、東京都内で記者会見した福井威夫社長は「ホンダを取り巻く経営環境が悪化し、回復にはしばらく時間がかかる。経営資源の効率的な再配分が必要」と理由を述べた。 (13:42)"
なんか地元はショックだったみたいで、テレビでも大きく報道された。でも、この非常時、ホンダはやるべきことをやったと思う。

むしろ今まで年間500億円もの無駄遣いを続けてきたことに驚いた。販売促進の効果もあったとも思えない。F1技術は制限時速100キロのニッポンでは無用の技術だ。これで食ってきた人たちにはショックだろうけれど、今までいい思いをし過ぎてきたのだから、帳尻は合うだろう。

この他にも日本企業の無駄遣いはいくらもある。企業に限らず日本経済には扶養家族が増えすぎている(しかもその「扶養家族」が一家の主人のつもりになってわがままの言い放題だ)。今回の大不況も、この種の無駄遣いを正し、経済の合理化に役立たせることが出来れば、まさに「奇貨」となるのである。

豊作で、作りすぎで、需要が落ちて、それでも上がるコメの値段の不思議

今朝の日経に出ていた記事。おおむね内容は下のもの:
NIKKEI NET(日経ネット):商品コラム: "「作られた米価」行き着く先は

2008年産の新米価格が底堅く推移している。好天で7年ぶりの豊作水準となる一方で、生産コスト上昇を理由にした全国農業協同組合連合会(全農)の値上げが浸透。当初予想されたような値下がりは回避している。

大手コメ卸会社の幹部は「現在の米価は作られた価格」と苦々しげに語る。

総務省の家計調査による2人以上世帯のコメ購入数量は7月から3カ月続けて前年実績を下回っている。今年前半のコメ消費増はパンなど小麦製品の値上げという「敵失」によるもの。不透明な価格形成が続けば消費者や需要家の不信を招き、消費減というしっぺ返しを食う可能性は否定できない。"
今朝の紙面では全農の出荷独占と政府の価格支持政策が「作られた米価」をもたらしたが、消費者は高いコメは買わなくなり、中に立つコメ卸業者の経営が急速に悪化しているとの報告だった。

消費者がコメを食べなくなったのは、こういう利権の構図が余りにもひどいことに辟易しているためではないか。誰でも自分が騙されてボラれるのは嫌なのだ。

散人は年寄りだからコメなしでは生活できないタイプの古い人間。それでもコメを食べる度に「ぼられている」ことを思い出し不愉快になる。だから最近はだんだんコメを食べる回数が少なくなってきた。みんなそうなんだろう。

食べ物は「まっとうで正直」なものが良い。

マクド「QUARTER POUNDER」を食ったぞ!

今朝の日経に一面広告が出ているではないか。美味しそう。さっそく食べました。大満足。

やっぱり肉を食べないと元気が出ない。日本人の一人あたり食肉摂取量は中国にくらべても遙かに少ない(豚肉は中国の三分の一、牛肉は同程度)。ここ:
農協新聞:コメを食べなくなった中国人、日中の国民栄養状態が逆転?: "所得向上にともない、畜産物のなかで需要が大幅に伸びているのが豚肉だ。1人あたりの年間消費量は1990年には20kgだったのが03年には35kg となっている。日本人では1年間約12kg(17年度)だから3倍近い消費量になる。所得向上にともなって鶏肉と牛肉の需要も伸びたが近年では頭打ち。(図3)年間消費量は牛肉5kg、鶏肉11kgで日本人とほぼ同水準となっている。"

これじゃオリンピックで負けるわけ。日本における牛肉の異常な高価格をもたらしたやつは「戦犯」ものじゃ。

12/5 Today モーツアルトが死ぬ(1791)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - Wikipedia: "ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ドイツ語:Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日 - 1791年12月5日)は最も有名なクラシック音楽の作曲家の一人である。ハイドン、ベートーヴェンらとともに古典派と呼ばれる。
オーストリアの都市であるザルツブルクに生まれ、ウィーンで没した。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷室内作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長など。

1791年、モーツァルトは『皇帝ティートの慈悲』、『魔笛』、クラリネット協奏曲と作品を次々に書き上げ精力的に仕事をこなしていたが、『皇帝ティートの慈悲』上演のためプラハに行った時にはすでに体調を崩し、薬を服用していたという。レクイエムに取り組んでいる最中の11月20日から病床に伏し、2週間後の12月5日0時55分に死亡した。死に際して聖職者たちは来るのを拒み、終油の儀は受けていない。"


モーツアルトの全楽譜がデジタルで公開されている。個人用の使用目的であれば無料:

NMA オンライン
新モーツァルト全集:デジタル版
: "国際モーツァルテム財団とパッカード人文研究所が共同で運営するこのウェブサイトは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの音楽作品を個人的、学術的、 あるいは教育目的で広く容易に入手できるよう一般公開するものです。それが商用であろうとなかろうと、このウェブサイトの内容を大量にダウンロードしたり、再利用したりすることは禁じられています。 私は、このウェブサイトを個人的な研究のために限定して用いること、コピーをする場合には著作権法上の「公正利用」原則に基づく、個人利用目的以外には作成しないことに同意します。 個人利用目的は、ライセンス合意に定義されています。"

2008年12月4日木曜日

インド、ムンバイのテロ……テロでメシを食っている人間が増えすぎた!

ユウツなニュース:
【ムンバイ同時テロ】「アルカーイダは自信深める」元CIA分析官 - MSN産経ニュース: " 【ワシントン=山本秀也】オバマ次期米大統領の南アジア問題担当顧問を務めてきた中央情報局(CIA)元分析官、ブルース・リーデル・ブルッキングス研究所上級研究員は3日、インド・ムンバイの同時テロに関する分析として、世界各地のイスラム過激派に蜂起を呼びかける国際テロ組織アルカーイダが、今回の成果で「勝利への自信を深めた」との判断を示した。さらに、世界各地のテロ活動で、パキスタン系の組織や活動家が実行役を担う傾向が鮮明になったとして、警戒を呼びかけた。"
あいつらはテロでしか自分の存在をアピールできないのだ。ニッポンのウヨと同じ。サバンナの雄ライオンも同じ。

オスのライオンは仕事をしない。メスが獲ってきた食い物を真っ先に食うだけ。でも外敵が出てきたら、自分が先頭に立って戦うのだ。それが生物学的に雄ライオンの「ただメシ」を正当化している。逆に言えば、外敵との戦いが無くなれば、オスのライオンは「ただメシ」を食うことができなくなるので、困ってしまうことになる。

同じことが人間社会にも見られる。中東のテロもほとんどがそれで(メシのタネ理論で)説明が付く。和平交渉が進展しそうになると、途端にテロが起こるのだ。テロリストにとって「おいらのメシのタネをなくすとはケシカラン」というわけ。

先進国社会でもそうだ。○○運動とか、何とか家族の会とか、××にやさしい運動とか、ほとんどが単なる特定人間集団の「メシのタネ」運動でしか過ぎない。解決してしまえば自分たちが困ることになるので、絶対に解決できない運動目標を敢えて掲げる。それで当分自分たちのメシのタネが保証されるからだ。

かくして、世界の問題は、いよいよ深刻化し、長期化するのである。

GMの「債券株式化」提案は日本の投資家には適用されない

このニュース:
NIKKEI NET:GM、債権者に債務株式化を要請 米紙報道"【ニューヨーク=武類雅典】米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は28日、政府支援要請中の米ゼネラル・モーターズ(GM)が債権者に対し、債務を新株と交換する「債務の株式化」を要請していると報じた。負債軽減で財務体質を改善し、政府に自助努力を訴える狙いもあるとみられている。
 同紙によると、債務の株式化などによる負債削減策を12月2日までに米議会へ提出する再建計画に盛り込むことを検討している。GMが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)適用を申請した場合、債権者は大幅な債権カットを求められる可能性が高い。GMは、債務の株式化の方が債権者にとって有利であると説明しやすいと判断しているもようだ。 (29日 22:34)"
現金引き換えオプションもありよさげな話だと思ったけれど、日本の証券会社はこのオファーを取り次ぎできないそうだ。

なんでも「金融商品取引法上の規制」でダメと言うことらしい。またしても日本の投資家の利益を「お上」が阻むという構図。

恥ずかしながら「少し」持っている。とりあえずは先延ばし期待。後は「神様お釈迦様オバマ様」にお祈りするばかり。

GMがここまでダメになってしまったのは、社内の既得権集団(労組)を潰すことが出来なかったため。みんなが言うように米国自動車産業衰退の諸悪の根源は既得権化した「労働組合」なのだ:
不況は創造的破壊のチャンスだ - 池田信夫 blog: "たとえばNewsweekは、デトロイトの垂直統合型産業構造はとっくに寿命が尽きているので延命する価値はないと断定し、諸悪の根源である労働組合をつぶして自動車産業の創造的破壊を行なうには破産しかないと論じている。"

ニッポンも国内の既得権集団(日本の場合は労組と言うより農協なんかの職業組合だね)をのさばらしていると、GMみたいな運命をたどることとなる。

12/4 Today リシュリューが死ぬ(1642)

リシュリュー - Wikipedia: "枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシ(Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585年9月9日 - 1642年12月4日) は、カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家。1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた。"

われらがダルタニアンの天敵でもあった人物。


人物像は:
ブルボン朝の発展と繁栄のために大きく尽力し、近代フランスの礎を築いた大政治家であった。冷徹なマキャヴェリストであった反面、まれにみる無私の人でもあり為政者としての広い度量をかねそなえてもいた。

彼の信念は「王権の拡大」と「盛大への意思」、すなわちフランスはあらゆる他国を押さえて強大にならねばならないとの確信であり、この彼の信条に従わない者に対しては全てこれを「国家の敵」とみなして徹底的に撲滅をはかった。「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」という彼の言葉からもわかるように、他者を罰することは彼の生き甲斐でもあった。

リシュリューの臨終の席で、聴罪司祭が「汝は汝の敵を愛しますか」と問うと彼は「私には国家の敵より他に敵はなかった」と答えたという。彼の人生がしのばれるエピソードである。

デュマ作の小説『三銃士』にも登場し、王妃や三銃士と対立して策謀を巡らす悪役としての側面と、フランスの発展に尽力する優れた政治家としての側面という両面から描かれている。

『三銃士』ではたしかに悪役。でも、国家の敵(イギリスの貴族)と不倫する王妃さまとそれに仕える三銃士の方が、本当は悪い。

2008年12月3日水曜日

「今年はおせち料理は作らない!」(板橋区の女性)

世界大不況への対処の仕方につき日経で拾った名言:
NIKKEI NET(日経ネット):雇用・家計、凍える師走 「お節料理も作らない」: "東京都豊島区の「ハローワーク池袋」には、仕事を求める人が早朝から訪れた。生後3カ月の子どもを抱きながら求人情報を眺めていた板橋区の女性(33)は夫が印刷業を経営。「この不景気でいつ仕事がなくなるか分からない。年末が乗り切れるかどうか……」と仕事を探しに来た。育児費用がかさむ分、日々の食費を切り詰めているといい、「今年はお節料理も作らない」ときっぱり。"
こういう不況対応力のある女性が居る限りニッポンは大丈夫。ニッポンもまだまだ捨てたものではない。

今晩のNHKローカルニュースでは「PC」なアナウンサーが「不況であってもおせち料理は豪華に食べましょう」と言っていたが、アホか。NHKは国民がイソップのキリギリスになるのを薦めているのか。この不況のなかでは、当然、節約節約でいくのが正解だ。農村商業主義に毒された高い「おせち料理」とやらを買ってあいつらにぼられることとおさらばするいい機会だ。

本来、日本の家庭では正月にあんな(いわゆるおせち料理という)豪華なものは食わなかった。宮中の正月献立も餅とミソを基本としたごく質素なものだ。散人が子供だったときもそうだった。もちろん数の子は出たが、当時は、数の子は田圃の肥料にするぐらい安い食材だった。「暮らしの手帖」が正月には伝統の「おせち料理」という質素なものではなくもっと栄養がある合理的で美味しいものを食べましょうという特集を組んだぐらいだ。

おいらも、新年にはおせち料理は必要最小限にとどめる所存。オリジン弁当かなんかで売っている一食分で充分以上だ。この非常時、贅沢は敵なのである。第一、あのおせち料理とやらは、美味しくないうえに高すぎる。食い物にこだわるのは、社会的上昇階段を閉ざされて心理的に屈折し、高価な食い物にこだわるしかなかった「札差し」と同じで、カッコが悪い。

タイの最大与党の崩壊……ニッポンと全く同じ構図だ!

誰も言わないようなので、言っておく。この事件の意味するところは何だ:
asahi.com(朝日新聞社):タイ政権崩壊、反政府団体は3日に空港から撤収 - 国際: "【バンコク=山本大輔】昨年の総選挙での選挙違反事件をめぐり、タイの憲法裁判所は2日、タクシン元首相派で最大与党の国民の力党(PPP)を含む連立与党3党に解党を命じた。ソムチャイ首相ら3党の幹部計109人は5年間、公民権が停止される。ソムチャイ政権は発足からわずか2カ月半で崩壊した。"

常識的に考えれば、「都市対農村」の対立軸での戦いで、都市住民が勝利を収めたと言うことであるが、そんなに単純なことではない。

タイにおいては農民の数が人口の大多数を占める。解党を命じられた与党は農村へのバラマキ政策と票の買収工作で有名であり「悪辣極まりない」とされるが、国民の大多数の利益を守る政党であったとも言える。比較的裕福な都市住民は少数勢力であったのだ。しかしタイの都市住民は、政治力と腕力で、自分たちに不利益な政策を推し進める多数派農民を基盤とする与党を排除した。一件「民主的でリベラル」と見えるがとんでもない。少数派による暴力である。

わがニッポンにおいても同じように、少数派のエゴで多数派が犠牲になるという構図が見受けられる。でも役者が代表する階級が異なる。タイにおける農民(多数派)とは日本における都市住民。タイの都市住民(少数派)とは日本における農村住民なのである。ニッポンでもタイでも、この「少数派」が暴力的に自分のエゴを主張し、多数派の利益を侵害するかたちで政治を牛耳っているのである。

かわいそうなのは、いまだに極端に貧しいタイの農民層である。叶芳和によれば彼らはトカゲを食わざるを得ない状況下で生活している。それなのに、豊かなタイの都市住民は、自分たちのエゴのために多数派である農民を踏みにじった。これはヨクナイコトなのである。同じようにニッポンでも、少数派の豊かな農村住民が自分のエゴのために多数派の貧しい都市住民の利益を踏みにじっている。これもヨクナイコトなのである。

でもよその国の内政問題に口を出すのも、またヨクナイコトでもある。われわれニッポンの都市住民がやれることは、せめて、タイの農産物をもう少し余分に買ってあげて、困窮しているタイの農民を助けてあげることではないか。食料自給率を向上させようという非科学的なスローガンに惑わされて高い国産農産物を買い、都市勤労者世帯より経済的に豊かなニッポンの農村世帯を(これは統計的事実だ)これ以上太らせることはやめよう。

これは国際的な人道主義にも沿うことであり、グローバルな正義でもある。

12/3 Today 永井荷風が生まれる(1879)

永井荷風 - Wikipedia: "永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家である。耽美的な作風で明治から昭和にかけて活躍した。本名は永井壯吉(ながい そうきち)。号は断腸亭主人、金阜山人。"
生まれたところは小石川伝通院の近く。育ったところは麹町。青年期・壮年期は余丁町で過ごす(断腸亭とは余丁町の父親の家の庭に荷風用に作った小さな離れの名前)。写真はアメリカ留学時代。写真で見るとおり、若い頃はいい男であった。でも年寄りになると、いわゆる「荷風顔」となる。

日記(断腸亭日乗)を読むと、自分の誕生日(12月3日)にはたいてい何もしていない。お母さんが元気な頃はたまに来てくれた程度。例えば:
晴れて暖なり。わが生まれし日なれど祝盃を挙る所もなく語るべき人も尋ね来たらざれば平日の如く飯を炊き庭を掃き土州橋に行きて薬を求め灯ともし頃に帰る。詩も発句も歌もなし。(昭和16年)
という具合。

拗ねていたんだと思う。


荷風についてのいろいろ書いたものは Letter from Yochomachi ( Google) にあります:

http://yochomachi.blogspot.com/search/label/永井荷風

2008年12月2日火曜日

家庭の「主夫」は重労働だ!

隠居はラクダ〜と思っていたけれど、家事はたいへん忙しい。結構一日仕事である。専業主婦をバカにしてはいけない、エライのであると認識。

このところ毎朝庭掃除をしているが、きっちりやろうとすればこれがたいへんなのだ。少しずつやることにしているが、汗びっしょり。この季節は落ち葉が多い。

裏にヤツデが蔓延っていたので大量殺戮。あれは便所脇のものだという思いこみがあって嫌い。モチノキ(クロガネモチ)がとても太くなっている。昨年ばっさり寸胴切りに剪って死んだかと思ってたのにすごい生命力だ。カキの枝が屋根を擦っている。あれも剪らないと樋が詰まる。やることいっぱい。

クルマ(カブリオレの方)のタイヤ交換と定期点検にわざわざ浜田山まで行く。新宿は貧乏人が住むところなので自動車販売会社から無視されているのだ。考え事をしていて道を間違えてしまう。時間かかる。エクスプレッソを出してくれたので機嫌を直す。作業に二日かかるという。電車で帰るのは嫌なので(黴菌がいっぱい居そうで年寄りにはこわい)帰りは代車を出して貰う。最近のA4の内装アルミは表面加工がしてあり銀紙みたいでちょっとちゃち。新機軸かなんかは知らないけれど、昔のアルミ地金の方がよかったな。ともあれ無事帰宅。

あれやこれやで一日。今日は買い物がなかっただけまだ楽。主夫業はたいへんなのである。

『ソロスは警告する』(ジョージ・ソロス)……再帰性の哲学

ソロスは投資家なんかより哲学者になりたかったんだろう。この本を読むとよくわかる。彼の投資人生は、彼が学生時代(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)に発表して無視された「再帰性」という概念を実践の場で証明するためのものであったとも言える。



経済学をぼろくそに貶している。彼の「再帰性」という概念を認めればすべての経済学のモデルは成り立たなくなるのだ。かなり説得力がある。真面目に一読をおすすめ。

「再帰」という言葉だが、ラテン系の言語では「再帰動詞」というのがあるが、要はそのこと。自分の行動が自分に跳ね返ってくる動作をあらわす動詞(説明が下手でごめん)。自然科学以外の分野ではすべての現象はこういう性格を持つので、予測不可能となるのだという。合理的期待形成論や「すべては均衡に向かう」とかいうのは愚の愚だと。同感。

ソロスによれば、いま世界で起こっているのは、サブプライム問題なんかというケチなものではない、80年代以降に世界で形成された「超バブル」の崩壊だという。とてもこわいお話しだが、これも説得力がある。

野村の個人向け劣後債(SB)は買いか?

今朝の日経:
NIKKEI NET(日経ネット):経済ニュース -マクロ経済の動向から金融政策、業界の動きまでカバー: "野村、劣後調達で最大4100億円 個人向け3000億円
 野村ホールディングスは1日、劣後資金の調達による資本増強策を発表した。第一生命保険と信金中央金庫向けに発行する劣後特約付転換社債(劣後CB)1100億円に加え、個人向けを中心に最大3000億円の劣後債を発行する。金融危機や米リーマン・ブラザーズの部門買収に伴う費用負担で今期は赤字になる公算が大きく、最大4100億円の劣後調達で財務基盤を拡充する。"
個人向けの劣後債(SB)の金利は3.6%程度となるらしい。

劣後債だから、野村がつぶれたら戻ってこない。でもその時はニッポンもおしまいだし、そうならないためにも応援したいところ。12月25日までが申込期間。よく考えよう。

12/2 Today アウステルリッツの戦い(1805)

アウステルリッツの戦い - Wikipedia: "アウステルリッツの戦い(アウステルリッツのたたかい, 英:Battle of Austerlitz, 仏:Bataille d'Austerlitz, 独:Schlacht von Austerlitz, 1805年12月2日)は、オーストリア領(現チェコ領)モラヴィアのブルノ近郊の町アウステルリッツ(現在のスラフコフ・ウ・ブルナ)郊外で、ナポレオン率いるフランス軍(大陸軍)が、オーストリア・ロシア連合軍を破った戦いである。

ナポレオンの指揮はもはや芸術とも評された見事な勝利であり、ナポレオン戦争の中で最も輝かしいものであった。

フランス帝国皇帝ナポレオン1世、神聖ローマ帝国(公式にオーストリア帝国となるのは1806年以降)皇帝フランツ2世、ロシア帝国皇帝アレクサンドル1世の3人の皇帝が参加したことから三帝会戦(さんていかいせん, 英:Battle of the Three Emperors, 独:Dreikaiserschlacht)とも呼ばれる。"


ナポレオンの得意絶頂の日。戦いが終わってナポレオンの演説:

兵士たちよ、私は諸君に満足している。

諸君は、アウステルリッツの戦いにおいて、私が諸君の勇敢にかけた期待を裏切らなかった。諸君は諸君の軍旗を不滅の栄光によって飾った。ロシア皇帝とオーストリア皇帝の指揮する10万の軍は、4時間足らずして、分断され四散させられた。諸君の砲火を免れた者も湖に溺れて死んだ。ロシアの親衛隊の40本の軍旗、120門の大砲、20人の将軍、3万以上の捕虜が、永久に栄光に輝くこの日の戦果である。諸君にはもはや恐れるべき敵はいない。

兵士たちよ、我々の祖国の幸福と繁栄のために必要なことがなされたときには、私は諸君をフランスへ帰すであろう。国民は諸君の帰還を喜ぶであろう。そして諸君は、「アウステルリッツの戦いに加わっていた」と言いさえすれば、こういう答えを受けるであろう。「ああ、この人は勇士だ!」と。


「兵士たちよ、我々の祖国の幸福と繁栄のために必要なことがなされたときには、私は諸君をフランスへ帰すであろう。」といっているのが興味深い。クラウゼビッツがいうように「戦争は政治の一形態」である以上、目的が達成されれば撤兵するのが大原則。ところがこれがなかなか出来ない。ナポレオンもここで止めておけばよかったものを、戦争を繰り返し、最後は負ける。

2008年12月1日月曜日

「NHK」と「プロジェクトX」と掛けて「万引き」と解く、その心は?

なんでもNHKの「プロジェクトX」の元統括プロデューサーが万引で逮捕されたらしい(ここ)。どういう関連があるのだろうか?

「プロジェクトX」はいい番組だった。なによりも制作者の熱い思いが伝わって来た。関係者の思い入れの強さがよくわかる番組であった。この統括プロデューサーも必死で製作に励んだのであろう。でも万引きなんかをすることになった。

どういう関係があるのだろう? 何の関係もないと断言するのは「科学的」じゃないと思う。これは解明するべき一大問題であると思う。

でも「ソー・ファー」いい回答が見つからない。万引きの犯罪者心理についての知識が不足しているからかも知れない。スリルを求めてやったというのは年齢的に考えにくい。なんだろう。

たぶん店頭の商品について「これは正当に俺のものだ」という意識がどこかにあったのだろうと思う。「これだけ俺が一生懸命やっているのだから、当然社会はそれ相当の見返りを用意してくれて当たり前だ、ところがNHKの「薄給(?)」ではそれに答えてくれない、これはおかしいのではないか、万引きぐらいして見返りを貰わないと割に合わない」と思う心情があったのではないか?

一生懸命やっていたのは認める。でも、それは自分が期待するほどの報酬には必ずしも結びつかない。それが世間というものだ。それをわからずして「おいらは一生懸命やっている、だからそれに見合う金銭的見返りがあってしかるべきだ」と考えるアホがニッポンには多すぎるのである。でも、これはNHKと「プロジェクトX」などの看板番組がばらまいてきた「価値観」でもある。この誤解は、まさに「NHK的問題」であり、ニッポン・システム全体の問題でもある。

一生懸命やっているだけで人並みの報酬がもらえるなら、ネコでもイヌでも、ニッポンの平均所得を貰う権利があることになる。

12/1 Today 吉野家牛丼再開の日(2006)

それまで米国からの牛肉輸入が禁止されており国民は吉野家牛丼を食べることが出来なかったが、この日ついに再開された。そのニュースを喜んで伝える GIGAZINE 記事:
吉野家、12月から毎日時間限定で牛丼販売再開 - GIGAZINE: "2006年10月30日 14時25分00秒

吉野家、12月から毎日時間限定で牛丼販売再開

12月1日から吉野家全店において、毎日11時から14時の時間限定で販売再開だそうです。並盛は380円、大盛は480円。牛丼以外の丼・定食メニューも販売されるとのこと。"
今から思えばなんであんなに米国牛肉について大騒ぎしたのだろうと思う。

国産牛肉拡販を狙って輸入牛肉の差し止めを求める国内生産者団体と、嫌米感情を抑えきれないサヨと、攘夷思想に凝り固まったウヨが声を合わせて「米国の牛肉を食うと死ぬ」と大騒ぎしたので、国民は一種の集団ヒステリーに陥ってしまっていた。でもその時は気がつかない。後になってはじめてわかるのである。江戸時代の「ええじゃないか」騒動と同じ。